閾ペディアことのは

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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閾ペディアことのは
開設2007年2月3日
ウィキシステムMediaWiki
分野極私的百科事典
言語日本語
使用時刻日本標準時(JST)
現状過疎
創設者松永英明
ライセンスCC BY-NC-SA 4.0

閾ペディアことのは(ゐきぺでぃあことのは)は、管理人「松永英明」氏(1969年 - )が、自らの興味のある分野に関する記事を執筆する「極私的百科事典」[1]または「百科事典風サイト」[2]である。

概要[編集]

2007年2月3日に開設された。MediaWikiを利用しているが、個人サイトであるから管理人以外の編集はできない。MediaWikiを採用している理由は「単にCMSツールとして便利」だから[3]との説明がある。「個人ウィキサイトであり、編集権は松永英明にしかありませんので、暖かく(あるいは生暖かく)見守りつつ記事が増えるのをお待ちください。」(kotono8:メインページの記述を引用)とのこと。

ただし、個人ウィキとはいえ、随所で「百科事典」を名乗っており、また記事の内容も明らかに第三者の閲覧者を想定しており、決して個人的なメモではない。総記事数は449ページ(2022年12月18日現在)あり、この手の個人ウィキサイトとしてはそこそこ規模の大きい部類。

Enpediaには、なぜか[[kotono8:]]というインターウィキが設定されている。使いどころはいまいちよくわからない。

同管理者により、2008年6月10日、@Wikiに「閾ペディアことのは退避場所」というサイトが設置されている。これは、アクセス過多で本家Wikiの閲覧が困難になったため、アクセスの多い記事を分割するために設置されたようである。秋葉原通り魔事件(2008年6月8日)関係の記事が閲覧数が多かったようだ。現在のアクセス数は不明だが、開設当初はそれなりにアクセスされていたようである。

2013年2月3日を最後に、投稿がすっかり途切れていた...が、2020年8月~同年9月にかけて一瞬復帰し、5回の編集が行われている[4]。更新は決して多くないが、運営は自腹で行っているようであり[5]、現在もアクセスが可能ということは、サーバー更新など継続した管理がしっかり行われているということである。また、kotono8:メインページ#他のサイトに、運営者が当時運営していたさまざまなサイトが列挙されているが、そのほとんどはリンク切れになっている一方、このウィキはアクセスできるため、ここに運営者がこのウィキには思い入れがあり維持したいという想いが推測される。

スキンは開設当初のデフォルトであったであろうMonobookスキンを採用している。メインページのデザインも2010年頃のWikipediaのデザインそっくりで、2022年現在、どこか懐かしさを感じるサイトである。記事内容も当時のものが多く、一部は若干の古さが否めない。

特徴[編集]

  • 個人ウィキだが、記事の分野に極端な偏りはない。やや人文科学系の記事や(2007年~2013年頃当時の)時事ネタが多め。
  • kotono8:閾ペディアことのは#閾ペディアことのはについてにおいて、ウィキ・正確性・歴史・日本語展開・執筆・引用による利用・ライセンスによる利用・自腹という8つの重点が提示されている。
  • 記事のスタイルについては、基本的にはWikipedia式の百科事典的記事が多いが、kotono8:閾ペディアことのは#閾ペディアことのはとウィキペディアの違いにおいて「ウィキペディアでは、姉妹プロジェクトとしてウィクショナリー(多機能辞典)、ウィキソース(著作権フリー文書)、ウィキニュース(自由なニュース)などが存在し、百科事典的な記述のみをウィキペディアで扱い、それ以外の辞典的記述や資料、ニュースは切り分けている。一方、閾ペディアことのはでは、百科事典、辞典、ニュース、資料などをすべて一括して扱っている。」と説明されており、実際、百科事典的記事に限定せずさまざまなスタイルの記事が作成されている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]