遠藤事件

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遠藤事件』(えんどうじけん)とは、1975年12月20日におきたひき逃げ事件である。別名『新潟ひき逃げ事件』。この事件で起訴された「男性A」は最高裁にて逆転無罪判決を受けている。無罪判決により、事件は迷宮入りしている。

概要[編集]

1975年12月20日に新潟県蒲原郡津川町の国道四九号線でひき逃げ死亡事故が発生した。ひかれた男性は酒に酔っており、道路で横たわっていたところを轢かれていた。事故を受けて警察は緊急検問を実施するも異常は見つからなかった。

1年以上が経過後[編集]

新潟県警は、事件から1年以上が経過した1977年2月に新潟県科学捜査研究所の鑑定結果を根拠に業務上過失致死罪の容疑で「男性A」を逮捕起訴した。この「男性A」はトラック運転手で、事故時の緊急検問を受けていたが、当時は異常なしとして通過していた。

「男性A」の裁判経過[編集]

裁判では「男性A」は無罪を主張。そのため、弁護側・検察側のどちらの鑑定結果を採用するかが争われた。特にトラックの右後輪のタイヤの外側にあったとされる付着物が争点となった。検察側申請の岩手医科大学教授の鑑定結果では、付着物は人血でO型。被害者と同じ血液と認定した。一方、弁護側申請の北見大学法医学教授は被害者の血痕ではないとする鑑定結果を出した。

  • 1982年9月、一審の新潟地裁は禁錮6月、執行猶予2年とする有罪判決を言い渡した。判決では北見大学法医学教授の鑑定結果を否定。岩手医科大学教授の鑑定結果から被害者の人血と認定した。弁護側は控訴する。
  • 1984年4月、二審の東京高裁も控訴を棄却。一審とほぼ同様の事実認定をした。成蹊大学教授の物理的にタイヤの外側にしか、人血がつくことはありえないとした主張に対しても、退ける言及をした。
  • 1989年4月、最高裁で逆転無罪判決が言い渡された。最高裁が、下級審の判断を覆して、無罪判決を言い渡すのは異例。判決では、北見大学法医学教授の鑑定結果を否定した下級審を批判。北見大学法医学教授の鑑定で、フェノールフタレイン試験が陰性となった結果からみて、付着物が血液の可能性はなく、付着物の事故との関連性を否定。さらに、岩手医科大学教授の鑑定は、直接ついた血液のはずなのに、ピコグラム単位の血液しか検出されていないとして、被害者血痕という見方を否定した。

最高裁の逆転無罪判決により、「男性A」は13年に及ぶ長期裁判の末に無罪判決が確定することになった。

現在のステータス[編集]

  • 真犯人は他に存在するという事になっている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]