遠山啓
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遠山 啓(とおやま ひらく、1909年8月21日 - 1979年9月11日)とは、数学者。のちに数学教育者。自称“数楽物(すーらくもん)”、「遠山梁山泊」と云われた東工大の遠山研究室のおける仇名は「元帥」。森毅は梁山泊における英傑のひとりで、仲間内では「元帥の君側の奸」といわれた。
府立一中(現・日比谷高校)の OB である。東京帝大に進んだが、気に入らない教授の授業をすっぽかして、東北大学に進んだ。戦時中は土浦の海軍の航空予科で教鞭を取っており、航法計算用の定規を考案したという。その後東工大(東京工業大学)に移り、退官後には数学教育者として活動し、水道方式やタイルのシェーマを提唱した。
専門は解析学であったらしい。とにかく数式の解読力が半端ではなく、アイザック・ニュートンが「最後の錬金術師」と云われたように、「最後のテクニシャン」と呼ばれた。〚数学セミナー〛の創刊者。安野光雅や矢野健太郎 (数学者)とも親しかったらしい。
その他[編集]
同姓同名の人物に下水道の専門家がいらっしゃって、『数学セミナー』からインタビューを受けていた。
関連作品[編集]
- 森毅・安野光雅『数学大明神』
脚注[編集]
参考資料[編集]
- 『かけがえのない、この自分』
- 『遠山啓著作集』