足利 梅千代王丸(あしかが うめちよおうまる、天正4年9月23日(1576年10月15日) - ?)とは、安土桃山時代の足利氏の一族。父は第5代古河公方・足利義氏で嫡男。母は北条氏康の娘・浄光院殿。同母姉に足利氏姫。名不詳の2歳下の妹もいる。梅千代王丸は本来ならば古河公方の世継であったが、数年で夭折したという。義氏には他に男子も無く、天正10年(1582年)閏12月に義氏が死去すると、古河公方は事実上の断絶となり、氏姫のみが残されることになったという[1][2]。