趙 岐(ちょう き、? - 201年)は、中国の後漢末期の政治家。
京兆の出身[1]。宦官の唐衡の迫害を受けて青州北海郡に逃げ、餅を売って生計を立てて暮らしていたという[1]。董卓の時代に招聘されて太僕に任命された[1]。文化人としても著名で、『孟子章句』『三輔決録』など著作が多数存在する[1]。