警察庁広域重要指定118号事件

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警察庁広域重要指定118号事件(けいさつちょうこういきじゅうようしてい118ごうじけん)とは、1986年から1991年にかけて起きた誘拐・監禁・強盗殺人事件。3県にまたがって起きたことから千葉・福島・岩手誘拐殺人事件とも呼ばれる。警察庁は1991年6月17日に警察庁広域重要指定118号事件に指定している。

概要[編集]

1986年の殺人事件[編集]

1986年7月、岩手県盛岡市の金融業社長(当時41歳)から、現金37万5000円を強奪。岩手県岩手郡雫石町の山林に生き埋めにして殺害した。

1989年の殺人事件[編集]

1989年7月20日、福島県郡山市の塗装会社社長(当時48歳)が取引を装って呼び出されて誘拐。身代金としてファミリーレストランの駐車場で1700万円を渡した。その後、殺害されて福島県耶麻郡猪苗代町の貸別荘近くの山林に埋められた。

1991年の誘拐事件[編集]

1991年5月1日、千葉県市原市塗装業社長T(当時52歳)が誘拐された。Tは当日に電話で塗装の仕事の依頼の電話があり、待ち合わせの中学校正門前で2人の男に車に連れ込まれてしまう。途中でもう一人の男が車に乗り込んできている。Tは布袋を頭からかぶせられていた。3人組の男はTを脅迫。Tは、5月2日に妻に電話で金を用意するように連絡を取る。妻は、警察に通報すると夫が殺害される恐れがあるとして、現金2000万円を用意。5月3日、犯人の要求通りに知人男性2人に栃木県宇都宮市のファミリーレストラン駐車場に身代金を運んでもらい、トランクに現金を置いたまま、一時間その場を離れた。戻ってみると車内に目隠しされたまま、紐で拘束されていたTが殺害されることなく、無事発見された。

5月4日、被害届が出されて身代金目的の誘拐事件として捜査が開始される。Tの証言を元に、監禁されていたとみられた栃木県那須塩原の貸し別荘の現場付近で事件当日の5月1日に不審な車が駐車していたことが発覚。貸し別荘の申し込みをしていたTの顔見知りで元塗装業Aを指名手配。5月14日に高岡市のホテルにいるところ逮捕。警察は、類似の未解決事件との関連も捜査。Aが過去の2事件にも関与したと自供。耶麻郡猪苗代町の貸し別荘地の山林から、塗装会社社長Mの遺体が発見された。

6月15日、Mの身代金目的の誘拐殺人の容疑で土建業者C、D、Eを逮捕。元岩手県警の警察官Bを指名手配して、10月31日に逮捕した。

裁判経過[編集]

事件に関与したとして4塗装工A、元岩手県警の警察官B、土建業者C、D、E(CとDは兄弟)、元運転手F、塗装工G、1991年の誘拐事件にのみ関与した塗装工Hという8人もの裁判が行われた。

A、B、Cの裁判[編集]

1995年1月、福島地裁はA・B・Cの3人に対して死刑判決(求刑死刑)を言い渡した。この判決に対して3人は控訴。

1998年3月、仙台高裁は一審判決を支持して、3人に死刑判決を言い渡した。

2004年6月25日、最高裁は3人の上告を棄却。死刑判決が確定した。

D、E、Fの裁判[編集]

1995年1月、福島地裁はD・E・Fの3人に対して無期懲役判決(求刑D・Eが死刑、Fが無期懲役)を言い渡した。

1998年3月、仙台高裁は一審判決を支持して、3人に無期懲役判決を言い渡した。D、Eは上告せずに無期懲役判決が確定。

2003年4月24日、最高裁はFの上告を棄却。Fの無期懲役が確定した。

Gの裁判[編集]

Gは、1審途中で病死。被疑者死亡で控訴棄却となった。

Hの裁判[編集]

1991年の誘拐事件の実に関与したとされるHは、略取・誘拐・監禁罪で起訴。1991年9月、千葉地裁で懲役6年を言い渡されて確定した。

判決後[編集]

Aは2007年7月に再審請求。2009年4月6日付で福島地裁鈴木信行裁判長)は、再審請求の棄却を決定[1]。福島地裁は3月30日にまでに棄却を決定しており、4月3日に仙台高裁に即時抗告の申し立てをしている。その後、2012年1月17日付の決定で最高裁第二小法廷須藤正彦裁判長)は、Aの再審請求を棄却。2度目の再審請求を行うも、2013年2月、最高裁第三小法廷は再審請求を棄却。その後、2013年3月にBと共に福島地裁に再審請求をしたが、Bは病死。

Cは、死刑判決確定後に東京拘置所に移送。癌を発症して、2011年1月29日に医療施設で病死した。

判決後に塗装工Bは、再審請求。2013年2月、最高裁第三小法廷は再審請求を棄却。2013年8月14日、宮城刑務所仙台拘置支所でBはで急性肺炎により病死(享年73歳)[2]。7月末に肺炎になって、12日からは医務棟に移って治療していた。2013年3月にAと共に出した福島地裁への3度目の再審請求の矢先だった。2014年6月26日未明、Aも急性呼吸器不全で病死(享年60歳)。誤嚥性肺炎と診断されて治療中だった。これによって、本事件で死刑判決が確定していた3人はすべて病死した。

脚注[編集]

関連項目[編集]