蓬莱県主
蓬莱県主 (ほうらいけんしゅ、生没年不詳)は、金の海陵王の寵姫。本名は完顔 重節(かんがん じゅうせつ)という。
生涯[編集]
皇帝の義理の娘[編集]
父は皇族の完顔阿虎迭であり、重節もまた皇族の少女であった。母は容姿端麗な蒲察阿里虎であり、母に似た重節も可憐な容姿だったという。
父が死ぬと、母の阿里虎は1157年に海陵王に強奪され、無理やり彼の妃とされた。重節は皇帝の義理の娘となり、宮中に迎えられた。しかしその後、改良王は、美少女だった重節も犯した。こうして海陵王は美人母娘を揃って強姦することとなったのである。阿里虎は激怒し、娘と険悪な仲となった。が、娘に寵愛を奪われて、海陵王に絞殺された。
その後、重節は宮中から追放され民間人の妾となっていたが、ふたたび海陵王に呼び戻され、郕国夫人とされた。さらに昭妃・蓬莱県主の位を与えられた。
醒世恒言[編集]
明末の口語小説集『醒世恒言』では、より劇的に描写されている。
重節は13歳の美少女だった。母が後宮に入った際に、海陵王は義理の娘となる少女を見て気に入った。そして、少女を犯してしまおうと考えた。
ある夜、海陵王は阿里虎たち多くの美女を呼んで、裸となって戯れていた。海陵王と妃たちが交わっていた部屋は煌々と明かりがついていた。
やがて重節がその近くを通りがかった。彼女は好奇心に駆られて、その部屋を覗いてしまった。海陵王は行為の真っ最中であり、そのなかには母の姿もあった。数多くの美女たちがあられもない姿で喘がされていた様子を見た重節は赤面して逃げ出した。
重節は母のはしたない姿を恥ずかしく思った。同時に幼い重節は、初めて見る行為の場面に戸惑い、体が火照るのを感じた。自室に戻った彼女は指を咬み、いつのまにか自慰をしていた。そこに誰かの声がした。
「どなたですか?」と重節は尋ねた、相手は宮女の一人だと名乗り、扉をたたいて開けてくれるように頼んだ。
そして扉を開けたところ、そこにいたのは海陵王であった。女性のふりをして重節を偽り、扉を開けさせたのだ。
重節は必死に抵抗し、逃げ出そうとしたが、海陵王に抱きすくめられてしまった。重節は「おやめください」と懇願したが、結局、その場に押し倒された。衣服をはだけられた重節の幼い体はすでに濡れており、男を受け入れる準備ができてしまっていた。重節は一晩に渡って凌辱され、ついに海陵王の妾となることとなった。