背番号19の呪い
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背番号19の呪い(せばんごう19ののろい)は、横浜ベイスターズにおいて、背番号19を着用すると大成できずに戦力外通告を受けるなどよからぬ事態が発生するというジンクスのことである。
概要[編集]
- 横浜大洋ホエールズ時代の1991年に中山裕章が少女への強制わいせつ事件を起こして逮捕され、球団を解雇されて以降、彼が着用していた背番号19は欠番とされていたが、大洋は1992年オフに球団名を「横浜ベイスターズ」に変更。同年のドラフト会議で1位指名を受けた小桧山雅仁が「19」に関連する縁起の良いエピソードを複数有していたことや、小桧山自身も「事件のことは気にしない」と表明したことから、19番は小桧山(1993年 - 1998年)に与えられた。しかし彼以降、戸叶尚(1999年 - 2000年)、杉本友(2001年 - 2003年)、染田賢作(2005年 - 2008年)と、背番号19を着用した投手たちが次々と期待外れに終わったことから、2007年12月には『スポーツニッポン』が「背番号19の呪い」と報じた。
- ただしその後、背番号19を継承した藤江均(2009年 - 2014年)が中継ぎとして活躍、藤江が戦力外通告を受けた後19番を継承した山﨑康晃は2015年に新人王、2018、19年はセーブ王のタイトルを獲得するなど「呪い」を打ち消す活躍を見せた。