笹子トンネル天井板崩落事故

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笹子トンネル天井板崩落事故とは、2012年12月2日中央自動車道上り線笹子トンネル内で発生した崩落事故である。東京側坑口から1.5km付近でトンネル内の換気ダクトと道路部を隔てる天井板が138mに渡って崩落[1]。走行中の自動車4台が巻きこまれ、2人が負傷、9人が犠牲となった。

この事故の影響で中央自動車道が寸断されただけではなく、全国の同型のトンネルの緊急点検が実施されるなど、道路インフラにおける老朽化対策の重要性が浮き彫りとなった事故でもある。

概要[編集]

当時の笹子トンネルは馬蹄形のトンネルを二段に分け、上部空間をトンネル内の換気ダクト、下部空間を車道とする横流換気方式のトンネルであった。この車道と換気ダクトを隔てる天井板は1枚につき1.2トンであり、トンネル上部からアンカーボルトで吊り下げられている構造であった。

12月2日の午前8時3分[1]、東京側坑口から1.5km付近の天井板270枚が突如落下。走行中であった走行中の4台が巻き込まれ、そのうち3台が天井板の下敷きとなった。消防署員らが到着した際は視界も良好であり、巻き込まれずに立ち往生していたドライバーの避難を促していたものの、すでに下敷きとなった車両から火災が発生し、煙による視界不良と爆発により避難せざるを得なかったという。また、残った天井板もいつ崩落するかわからないという状況での救助活動であり、その中での救助活動は困難であったと語られている[2]

この事故で1名が救助されたものの、間もなく死亡が確認されている。また、現場で下敷きになった2台の車から8名の遺体が回収された[3]。また、下敷きとなった際に車内からはじき出された女性1名と脱出した乗用車に乗っていた女性1名の2名が負傷した[4]

原因[編集]

天井板を支えるボルトの強度不足が第一の原因とされている。また、構造上の問題も指摘されており、垂直に打ち込んだボルトに対して真下に負荷がかかる構造や、接着剤で支える構造に疑問を呈している専門家もいる[5]。 なお、翌年2月に国交省から発表された点検結果において、崩落していない区間において半分以上のボルトが設計時の強度を保っていないことが判明した[6]

点検方法にも疑問が呈されており、事故の3ヶ月前の点検で異常がないとされていながら、事故後に行われた下り線の検査でボルトの脱落など670か所の不具合が確認され[7]、その管理体制に疑問が投げかけられていた。

その後[編集]

復旧[編集]

事故後には下り線を利用し対面通行とすることで全面通行止めを解除。翌月にはがれきや残った天井板も撤去し、2013年2月8日に全面復旧となった。

損害賠償[編集]

犠牲となった遺族はNEXCO中日本などに対して損害賠償を提訴。被告側の過失を認定し、控訴が無かったため確定。

また、下敷きになった際にはじき出されて奇跡的に生還した女性もNEXCO中日本らとその役員ら4人に対して損害賠償を提訴し、2016年に和解が成立した。

その後、遺族が役員に対しての損害賠償を求め最高裁まで争ったものの、役員ら個人の賠償責任は認められず、上告は棄却された。

書類送検[編集]

2017年11月30日、山梨県警察がNEXCO中日本の前社長らを業務上過失死傷の容疑で書類送致した[8]。ずさんな点検により異常を発見できず、事故を防げなかった疑いとしている。2018年3月に甲府地検が嫌疑不十分で不起訴処分となった。

同型トンネルの緊急点検[編集]

事故を受け、全国に所在する同型のトンネルの緊急点検が行われた。その結果全国60の該当するトンネルのうち16トンネルで異常が発見された。現在はすべてのトンネルで天井板が撤去されている。

脱出した記者[編集]

NHK甲府放送局の記者が事故に遭遇しており、落下してきた天井板の直撃を受けたものの奇跡的に生還している。天井板は助手席側を直撃しており、助手席に乗っていた同記者の配偶者である女性が負傷した。女性は気を失っており、衝撃で頭部がシフトノブ付近に追いやられるほど押し出されていたと回想している。 [9]

事故の当事者として毎年の慰霊式に遺族と共に参加し続けており、生き残ってしまった罪悪感に苛まれていた中、遺族から「生き証人として事故のことを伝えてほしい」と背中を押されたことも明かしている [10]

脱出した自動車[編集]

男性記者が乗車していたのは初代インプレッサWRX STiである。後部から助手席にかけて大きく損傷しており、ボディやガラスのみならずサスペンションも変形してしまっており、「いつもより加速が鈍くなった」と記者が回想していたことからもっそのことがわかる。

この車は岐阜県中津川市にある中津スバル販売に引き取られ、2014年に修復が完了。あのような大事故を受けたとは思えないほどの修復がなされており、事故前と同様に走行している様子が紹介されている[11]

関連項目[編集]

脚注[編集]