第6潜水艇沈没事故
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第6潜水艇沈没事故(だいろくせんすいていちんぼつじこ)とは、明治時代末期の明治43年(1910年)4月15日に山口県の岩国港沖で発生した潜水艇の沈没事故のことである。この日、大日本海軍の第6潜水艇が訓練中に浮上できなくなって沈没し、艦長の佐久間勉ら乗組員15名全員が死亡する大惨事となった。佐久間は死亡するまでに事故を詳細に記録した遺書を書き残したため、「海軍軍人の鑑」として忠君愛国教育に使われることになり、以後の日本海軍においては艦と一緒に海底に沈むことが軍人の美徳として扱われることになってしまった。
また、沈没2日後に引き揚げられた後の内部調査では艦長以下乗組員14名のうち12名が配置場所を守ったまま死亡、不在の残り2名も沈没原因の一因となったガソリンパイプの破損修理中に絶命しており、死亡乗組員全員が最後の瞬間まで職務を全うしたことも判明している。
影響[編集]
- 日本
- 日本海軍や民間船の艦長・船長が船と運命を共にすることを美徳とする前例となった。
- 教科書の題材になったり乗組員を称える軍歌が作られた。
- 海外
- アメリカ合衆国議会議事堂で遺書の写しが陳列された。
- セオドア・ルーズベルト大統領がいたく感動したことからアメリカ国会図書館に佐久間の遺言を刻んだ銅版が設置され、日米開戦後も撤去されていない。
- 1986年の岩国追悼式でアメリカ合衆国海軍のお偉いさんが佐久間に言及したそうだ。
- イギリス王室海軍潜水史料館に佐久間と第六潜水艇を説明する資料が明治時代から現在に至るまで継続展示されている。