稲若健志
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名前 | ||||||
カタカナ | イナワカ タケシ | |||||
ラテン文字 | INAWAKA Takeshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年12月18日(44歳) | |||||
出身地 | 神奈川県 | |||||
身長 | 181cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート)■スポーツPT |
稲若 健志(いなわか たけし、1979年12月18日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者、ワカタケグループ代表取締役、株式会社ワカタケ代表取締役。
所属クラブ[編集]
- 1996年 - 1998年 日本 藤嶺学園藤沢高校
- 1998年 - 1999年 CAチャカリタ・ジュニアーズ
- 2000年 - 2001年 日本 愛媛FC
- 2002年 - 2003年 CDリエストラ
- 2003年 - 2005年 日本 栃木SC
- 2006年 - 2009年 日本 矢板SC / ヴェルフェたかはら那須 (2008年より名称変更)
経歴[編集]
藤嶺学園藤沢高校在学中、ディエゴ・マラドーナに憧れ、冬休みを利用してアルゼンチンに渡る。卒業後に再度アルゼンチンに渡り、1998年4月にアルゼンチン2部リーグにあたるCAチャカリタ・ジュニアーズと契約。
その後1999年12月までプレーし帰国。2000年1月に愛媛FC入団テストを受けて入団し2001年12月までプレー。
2002年2月からウルグアイに単身で渡り、プロテストを受けに1部リーグのラシン・クルブ・デ・モンテビデオやモンテビデオ・ワンダラーズFCを回るも結果は不合格。
その後2002年6月にアルゼンチンに戻りテスト生で4部リーグに当たるCDリエストラに入る。2002年6月から2003年6月までの1年契約を果たす。
2003年8月に日本に帰国し栃木SCに入団。 2005年12月までプレーし、翌年2006年に矢板SCに移籍。その年に関東1部リーグベストイレブンに選ばれる。
2007年1月23日、株式会社ワカタケを設立。留学や通訳を中心とした仕事を展開しサッカースクールなども立ち上げる。 2009年4月にたかはら那須スポーツクラブのクラブマネージャーに就任。ヴェルフェたかはら那須のJFL昇格に向けてアルゼンチンよりホルヘ・リカルド・ロッシを招聘し2010シーズンに向けて辣腕を振るっていた。
2012年日本で初めて行われたレアルマドリード選手発掘事業で通訳を務め、そこからレアルマドリードと関わりを持つようになり、レアルマドリードコーチ陣との親交も深い。2015年にはDUBAI SPORTS CITYと業務提携をし、2016年に元アルゼンチン代表監督ホルヘ川上を招聘。その後2016年7月にスペインマドリードに支社を設立。
2017年5月5、6、7日に元スペイン代表ミチェル・サルガドを日本に招聘したのを皮切りに、2018年1月6、7、8には元フランス代表ダビド・トレゼゲ、2019年1月11、12、13日にはロシアW杯スペイン代表監督のフェルナンド・イエロ、2020年1月10、11、12日には元イタリア代表マルコマテラッツィ、元フランス代表ロベールピレスを招聘しレジェンドクリニックを開催している。
2020年12月3日にワカタケグループとリーガエスパニョーラがパートナーシップを結んだことがラリーガから発表された。
2022年6月に日本で初めてラリーガキャンプを開催、その後レアルマドリード、バイエルンミュウヘン、セルタ、レアルソシエダの4大クラブのキャンプを日本で開催し、2023年1月にはカルレスプジョルを招聘しレジェンドクリニックを開催した。
著書[編集]
- 『親子で学ぶアルゼンチンサッカースピリット』 随想舎、2012年、ISBN 978-4887482623
- 『十年後の君たちへ~輝かしい未来へのエール~』 随想舎、2014年
- 『世界を変えてやれ〜プロサッカー選手を夢見る子どもたちのために僕ができること』東洋館出版社、2020年