福岡覚醒剤密輸再審事件

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福岡覚醒剤密輸再審事件(ふくおかかくせいざいみつゆさいしんじけん)とは、1980年に起きた覚醒剤剤密輸事件。主犯とされた男性は、服役後に、共犯とされた男性から偽証だったという証言がなされて、再審無罪判決が確定している。

概要[編集]

1981年7月に、福岡に持ち込まれた覚醒剤事件の主犯として元暴力団組長Kを別件の傷害罪と合わせて覚醒剤取締法関税法違反容疑で逮捕。容疑がかけられた。

  • 1980年10月30日、Kが幼馴染の自営業者Aと共謀して韓国釜山金海空港から覚せい剤約2493・7グラムが福岡県福岡市福岡空港に持ち込まれた。このとき、検査場で発見されて輸入できなかった。
  • 1981年6月19日にも、KはAと共謀して、事情を知らないAの義弟であるCに韓国釜山金海空港から覚醒剤約978・2グラムを福岡空港に運ばせた。このときも検査場で発見され、輸入できず。
  • 1981年6月4日にはKはAとDと共謀して、覚醒剤を密輸入する目的で覚醒剤購入資金現金235万円を持って福岡空港から韓国釜山に出国しているとされた。
  • Dに覚醒剤の場所を訪ねて、韓国人に預けたというと、刃物で脅し、あんま器等で頭部等を殴打するなどの暴行を加えて緊急逮捕された。

AとDは、それぞれKが主犯として覚醒剤密輸を行ったと証言。1981年7月7日、Kは別件の運び屋の男Dに傷害を負わせた容疑で起訴。Kは、一貫して覚醒剤密輸に関する容疑を否認したが、9月4日に覚醒剤取締法、関税法違反で起訴された。

裁判経過[編集]

1982年9月30日、福岡地方裁判所小倉支部は、懲役16年の有罪判決(求刑無期懲役)を言い渡した。判決では、Kが否認していた覚せい剤取締法違反及び関税法違反について、間接証拠の1981年6月14日からのKの渡韓やDに対する傷害事件、Kの所有倉庫に会った人参茶箱が1980年10月の覚せい剤密輸事件で使用された人参茶箱等と類似していることからは、Kの関与を断定できないものの、A及びDの供述は信頼でき、Kの犯行への関与を疑わせるとして主張を退けた。この判決に対してKは控訴。

福岡高裁は控訴棄却。最高裁に上告するも、棄却されて1985年4月4日に判決が確定した。

Aは懲役8年、Dは懲役2年の有罪判決が確定した。

再審[編集]

覚醒剤密輸事件について1986年7月に第一次再審請求、1988年8月に第二次再審請求をするも、確定判決に疑いが出るものではないと棄却。その後、1992年9月に病気を患ったAが「自分の刑を軽くするために嘘の証言をした。Kさんは関係ない」と証言。Aは1992年10月4日に病死。Kは、1993年7月1日にAのKは犯行には関係ないという告白をしたテープ、K被告の渡韓記録、通話記録、入院日時からのアリバイの成立などを新証拠として第三次再審請求を行った。再審請求審では、DもKに傷害を負わされたことで、憎んで偽証したと証言している。

1996年3月31日、福岡地裁は、新証拠からAとDの供述の信用性に疑いが生じたとして再審開始の決定。検察側は即時抗告したが、福岡高等裁判所は、2000年2月29日に抗告棄却。再審開始が決定した。

2001年7月17日、再審となる福岡地裁は、傷害罪について懲役1年6月としたうえで、覚醒剤密輸事件に関して無罪判決を言い渡した。判決では、アリバイには偽証も伺わせられるが、電話の記録や渡韓記録から一部についてアリバイが認められる可能性がある。Aが、主犯となることを畏れてKに罪なすりつけるを可能性は十分に考えられるとし、Dの供述についてもKに傷害を負わされたことで首謀者と思い込んだり、憎しみを抱くことは十分にあり得ることで、偽証の動機としては不自然ではないとした。この判決に対して、検察側は控訴せず、無罪判決が確定した。

参考文献[編集]

  • 川崎英明『刑事再審と証拠構造論の展開』(勁草書房、2003年)ISBN 4-535-51377-5
  • 判例タイムズ713号75頁

関連項目[編集]