登波離橋
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登波離橋(とはりばし)とは、長野県北安曇郡池田町大字陸郷に存在する橋である。
経歴[編集]
池田町から生坂村に抜ける山道の途中に架かるこの橋は、鎌倉時代の白駒城主・樋口行時と2人の妻にまつわる哀れな伝説で有名である。橋自体は車1台が通れる程度の広さである。
伝わるところによると、樋口行時の正妻にふじ女という正室がおり、側室にきよ女がいたが、きよはふじを妬み、花見の宴で密かに殺そうと計画した。計画はふじを橋の上から突き落とすというものであったが、ふじはこれを事前に知るときよの袂と自分の袂を10針縫い合わせておき、宴が終わっての帰りにきよはふじを橋から突き落とそうとした。しかしふじの事前の手配りにより、ふじ続いてきよも谷底へ落ち、結果的に2人共絶命した。行時はこれを悲しみ、出家して行知法師と名を改め、2人の冥福を祈ったという。それ以後、この谷には1身2頭の蛇があらわれ、1本の根に2本の幹をもつ松が映えるようになったといわれる。
このため、登波離橋は十針、妬張、妬割とも書き、別に戸張、鳥放、蛇橋など多くの呼び名を持っている。
なお、この橋はいつ架けられたのか定かではないが、2021年現在の橋は昭和51年(1976年)に架けられたものである。