申 不害(しん ふがい、生没年不詳)は、中国の戦国時代の韓の政治家・宰相。
元は鄭の下級の臣下であったが、学術に秀でていたのを韓の昭侯に面会して認められ、宰相に任命された[1]。宰相の任にあること15年にわたって内政・外交に務め、申不害の存命中は韓を侵す諸侯は無かったという[1]。
申不害の学術は黄老に基づき、刑名を主とし、法家の祖とされ、著書に『申子』がある[1]。