琉球大学
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琉球大学(りゅうきゅうだいがく、英 University of the Ryukyus)は、沖縄県中頭郡西原町字千原1番地に本部を置く日本の国立大学である。略称は琉大(りゅうだい)。
概観[編集]
1977年から1984年にかけて現在の場所に移転。移転後にキャンパスは解体され、グラウンドは沖縄県立芸術大学に譲渡された。
現在千原キャンパス・上原キャンパスの2キャンパスの2キャンパスである。
敷地は西原町・中城村・宜野湾市の3市町村にまたがっている。キャンパスの総面積は約126万㎡で東京ドーム約27個分の敷地面積である。西原キャンパスに関しては112万㎡で単一の国公立大学としては九州大学伊都キャンパス、筑波大学筑波キャンパス、広島大学東広島キャンパスに次ぎ、全国4番目の広さである。
沿革[編集]
- 1950年(昭和25年)- 米国民政府布令第30号「琉球大学」に基づき、那覇市首里の首里城跡に琉球大学が開学。当初は琉球列島米国民政府の管轄下にあった。英語学部・教育学部・社会科学部・農学部・理学部・応用学芸部の6学部で構成され、沖縄文教学校、沖縄外国語学校は琉球大学に吸収される。
- 1951年(昭和26年)- 林学部を設置。
- 1952年(昭和27年)
- 英語学部を語学部に改称、応用学芸学部を商学部・家政学部に分離。
- 奄美大島に琉球大学大島分校を設置。
- 1953年(昭和28年)- 奄美大島の本土復帰により、大島分校を廃止。
- 1954年(昭和29年)- 文理学部・教育学部・農家政学部に統合・編成。
- 1958年(昭和33年)- 農家政学部を「農家政工学部」に改称。
- 1966年(昭和41年)- 琉球大学設置法及び琉球大学管理法により、米国民政府から琉球政府に移管される。
- 1967年(昭和42年)- 法文学部・教育学部・理工学部・農学部に改編。
- 1968年(昭和43年)- 保健学部を設置。
- 1970年(昭和45年)- 新那覇病院が琉球大学附属病院となる。
- 1972年(昭和47年)- 沖縄の本土復帰により、文部省に移管され、国立大学となる。
- 1977年(昭和52年)- 現キャンパスへの移転事業が開始される(〜1984年(昭和59年))
- 1979年(昭和54年)- 理工学部を理学部と工学部に分離、医学部を設置、保健学部は医学部保健学科とする。
- 1981年(昭和56年) - 保健学部が医学部保健学科に改組されたことに伴い、琉球大学保健学部附属病院が琉球大学医学部附属病院となる。
- 1996年(平成8年)- 短期大学部を廃止。
- 1997年(平成9年)- 教養部を廃止。
- 2004年(平成16年)4月 - 国立大学法人化。
学部[編集]
- 人文社会学部
- 国際地域創造学部
- 教育学部
- 理学部
- 医学部
- 工学部
- 農学部
研究科[編集]
- 人文社会科学研究科
- 地域共創研究科
- 教育学研究科
- 医学研究科
- 保健学研究科
- 理工学研究科
- 農学研究科
- 法務研究科
- 鹿児島大学大学院連合農学研究科
建学の理念[編集]
「自由と平等・寛容と平和」。1951年、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの誕生日を選んで、2月12日開学記念式典を挙行。
著名な教員[編集]
詳細は「カテゴリ:琉球大学の教員」を参照
出身者[編集]
「カテゴリ:琉球大学出身の人物」も参照