王 叡(おう えい、? - 190年)は、後漢末期の荊州刺史。字は通耀(つうよう)[1]。
霊帝の時代に荊州刺史に任命される[1]。190年に諸侯が董卓討伐のために挙兵すると王叡もこれに応じて挙兵するが、王叡は武陵郡太守の曹寅と不仲だった事から王叡の挙兵を自らを殺すためのものと恐れた曹寅が檄文を偽造して孫堅に送りつけ、王叡は孫堅により殺害された[1]。