潮田益子

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潮田 益子(うしおだますこ、英:Masuko Ushioda、1942年4月4日 - 2013年5月28日)は音楽家、ヴァイオリニストである。国際的キャリアを持ち、音楽教師でもあった。不世出のヴァイオリニスト、天才少女と言われた。

経歴[編集]

1942年(昭和17年)4月4日満州(中国東北部)奉天(現瀋陽)で生まれる。父は早稲田大学卒業の建築家であった。母は民族舞踊家で振付師であった。母親は二人の娘がプロフェッショナルとして生きることを望んだため、小さいころから音楽を学んだ。

雙葉学園中等部を経て、桐朋学園高校では偉大なレオポルト・アウアーの弟子の小野アンナ(Anna Bubnova-Ono)に師事し、影響を受けた。次いで大物の斎藤秀雄に師事した。15歳で毎日音楽コンクールで第1位および特賞を受賞した。 卒業後、ミヒャエル・ヴァイマンに誘われ、レニングラード音楽院に3年間留学する。留学中1963年に、エリザベート王妃国際音楽コンクール第5位入賞を果たした。 1964年からスイスのモントルーでヨーゼフ・シゲティに師事する。

1966年には第3回チャイコフスキー国際コンクールで第2位に輝いた。その場で、後に結婚するチェリストのローレンス・レッサーにであう。

以後。国際的なソリストとして活動し、ボストンのニューイングランド音楽院教授となった。ロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団など一流オーケストラと共演した。

最後の来日は2012年、水戸室内管弦楽団第83回定期演奏会(2012年1月19日[木]~ 2012年1月20日[金])であった[1]

米国ボストンのベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センター(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)で白血病のため死去した[2]

前橋汀子[編集]

前橋汀子とは同年代の友人で、アンナ・ブブノワ(Anna Bubnova・小野アンナ、1890-1979)の東京の教室で知り合いになった。演奏に感激したミヒャエル・ヴァイマンが二人のレニングラード音楽院留学を援助することを約束し、ヴァイマンは2人を教えることを喜んで了承した。レニングラード音楽院の創立100周年記念行事の一環として、初めて共産圏以外の国から留学生を招いた。二人はレニングラード音楽院の学生寄宿舎の3階、51号室で一緒に住んでいた。週に3回のヴァイマンのレッスン、四重奏の練習、ロシア語の勉強、予習・復習で忙しかったという[3]

使用楽器[編集]

  • 1750年 ガルネリ(Petrus Guarner)
  • 1690年 ストラディバリウス

参考文献・注釈[編集]

  1. 水戸室内管弦楽団 第83回定期演奏会水戸芸術館、
  2. Death of Masuko UshiodaNew England Conservatory、2013年5月30日
  3. 前橋汀子(2017)『私のヴァイオリン 前橋汀子回想録』早川書房