江戸城御金蔵破り事件
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江戸城御金蔵破り事件(えどじょうごきんぞうやぶりじけん)とは、幕末の安政2年3月6日(1855年4月22日)に発生した江戸城の御金蔵破りである。
概要[編集]
安政2年(1855年)3月6日夜、江戸城本丸の御金蔵から小判4000両(2000両入り2つの箱)が盗まれた。犯人は上槇町清兵衛地借の藤岡藤十郎(当時39歳)と、富蔵(年齢不詳)という2人だった。この2人は、木で合鍵を作り、江戸城警備の虚をつくなどかなり用意周到の末に盗みに入ったのである。
江戸幕府は面子丸潰れとなり、犯人探しに躍起になった。そして安政4年2月26日(1857年3月21日)に、遂に両者を逮捕した。動機は生活苦による金目的だった。この両者は事前に下見をして鍵の型も取っていたという。
安政4年5月13日(1857年6月4日)、両名は市中引き回しの上で、千住小塚原において磔に処された。
ただ、わずか2人に城の警備を破られた上、金まで盗まれるという前代未聞の珍事に、江戸幕府の威信は大きく揺らぐことになった。