武安公主
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武安公主 (生没年不詳)は晋の武帝の皇女。永嘉の乱で強姦され、行方不明となった。
生涯[編集]
絶世の美女の娘[編集]
母は大将軍・胡奮の娘、胡芳。胡芳は大変な美人だったため、273年に武帝に無理やり後宮に入れられてしまった。彼女は武帝の妃となることを嫌がり大声で泣いていたが、武帝に気に入られ、毎晩のように犯されていたという。
そのうち、胡芳は子を孕んだ。それが武安公主である。公主は母親に似た美人となり、司馬炎の寵愛を受けた。成長した後、温裕に嫁いだ。
陵辱[編集]
290年に武帝が死去すると、晋の国力はしだいに衰えた。そして、311年、異民族の匈奴が晋の首都を陥落させる事件が起こる。これが永嘉の乱である。懐帝は捕らえられ、先の皇后・羊献容や梁蘭璧も輪姦された。
武安公主も例外ではなかった。姉の広平公主とともに捕らえられた彼女に待っていたのは、陵辱だった。大勢の兵士の慰み者となった彼女は、その後、行方がわからなくなった。死去したか、その後も匈奴に連れ去られて犯され続けていたのであろう。
参考文献[編集]
- 『晋書』