楠木正時
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楠木 正時(くすのき まさとき、? - 貞和4年/正平3年1月5日(1348年2月4日))は、南北朝時代の武将。父は楠木正成。兄は正行。弟は正儀。通称は二郎[1]。
生涯[編集]
楠木正成の次男。兄の正行と行動を共にして各地を転戦する[1]。貞和4年/正平3年1月、足利尊氏により派遣された高師直・師泰の軍を討つために河内四条畷で迎撃するも敗北し、正時は足利軍の武将・須々木四郎に眉間に矢を射られて瀕死の状態になり、同じく瀕死の状態になっていた兄の正行と共に刺し違えて死去した[1](四条畷の戦い)。
明治22年(1889年)に四条畷神社に正行と共にその霊が祀られた[1]。そして従四位を追贈された[1]。