梶原英樹
梶原 英樹(かじわら ひでき、1983年(昭和58年)5月6日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の京都府議会議員(1期)。
生い立ちと略歴[編集]
京都市山科区で生まれ山科区で育つ。両親は大分県出身(父は玖珠郡玖珠町、母は日田市堂尾)。4人兄弟の4番目。幼い時に両親は離婚。母親が働いていた大宅学区の山科銀座商店街の店主たちに長きにわたって面倒を見てもらっていた。
経歴
年表 | 所属等 |
---|---|
1987年 | さくら保育園 |
1990年 | 大宅小学校 |
1996年 | 大宅中学校 |
1999年 | 東稜高校 |
2002年 | JR西日本 |
2019年 | 京都府議会議員 |
小学生 2年生の夏に、商店街にある山居ふとん屋の店主に勧誘され大宅アトムズという少年野球チームに所属。主将を務めていたが、やんちゃな同級生に押され気味であった。全ポジションを守れる選手であったが、元気だけが取り柄であまり目立つ選手ではなかった。
中学生 2年生の秋に、友人とケンカをして野球部を辞め、卓球部に転身するが、野球が恋しくなり復帰する。これが野球を愛する大きなきっかけとなった。
高校生 2年生の夏の京都大会でベスト4に進出。ベンチ入りできず応援団副団長を務める。1年生の時、求人リストでJR西日本を発見し、母親を安心させたい想いで進路に標準を絞った。3年生の夏にJR西日本の入社試験に志望するがクラス担任、野球部の監督をはじめ、大半の教師から反対されるが強行し、合格する。
JR西日本時代
年表 | 所属 | 役職 | 経験したこと |
---|---|---|---|
2002年 | 野洲駅 | 駅員 | 一期一会の大切さを学ぶ |
2003年 | 天王寺車掌区 | 車掌 | 福知山線列車事故を経験 |
2006年 | 京橋車掌区 | 車掌 | 大阪環状線を何千回と回る |
2009年 | 大阪車掌区 | 車掌 | サンダーバード号の車掌を経験 |
2012年 | 京都車掌区 | 車掌 | 指導車掌として後輩の育成や安全の研究に励む |
2015年 | 大阪総合指令所 | 指令員 | ダイヤ乱れを早く収束させる役割の運転整理を経験 |
2016年 | 亀山指令所 | 指令員 | 草津線・関西線の信号、運転計画、工事を担当 |
2017年 | 安全推進室 | 課員 | 鉄道全般の安全性を向上させる仕事を経験 |
京都府議会議員
2019年 文化・教育常任委員会、子育て環境に関する特別委員会に所属
議員になるきっかけ[編集]
2015年の地方統一選挙において岸本あきら氏の選対本部役員として主に街宣担当を務めるが結果は落選となった。
もう一度、岸本選対役員を務めるつもりであったが岸本候補が諸事情により2019年の選挙の挑戦を断念。
岸本あきら氏と前原誠司衆議院議員から出馬要請があり、過去に友人を亡くした無念を晴らすため挑戦する覚悟を決めた。
政治信念[編集]
- 働く者の立場
会社員を17年間経験したこと、安心して働ける社会をつくり、友人が自ら命を絶った無念を晴晴らしたい。
- 子育て世代の声を届ける
少子高齢化問題を解決するため、社会保障の問題を解決するために、子育て環境を整え、安心して生み育てられる京都をつくりたい。
- 子どもたちに平等にチャンスのある社会
複雑な家庭環境で育った友人が周りに多く、小さいころから理不尽さを感じていた。 親の収入によって子どもの未来が決まっているような社会を変えたい。 頑張った子どもに惜しみない拍手が送れる社会を目指したい。
前原誠司衆議院議員との出会い[編集]
現在住んでいる百々学区において、消防団、体育振興会、ソフトボール部、少年野球などのイベントで出会い、前原誠司衆議院議員が鉄道ファンというこもあり交友があった。
趣味[編集]
野球、ソフトボール、ソフトバレー、卓球、バドミントン、星空観測。
その他役職[編集]
- 東稜高校硬式野球部OB会 副会長
- 百々消防分団 班長
- 百々体育振興会 庶務
- 大宅アトムズ 顧問
- 京都東山ボーイズ/レッドベアーズ 顧問