来訪神
来訪神とは、ユネスコ無形文化遺産にも登録されたが、日本固有のものではなく、サンタクローズも来訪神(神ではなく聖人だが)のひとつである。
概要[編集]
厄神とも荒ぶる神ともされる。ただし「和魂(にぎみたま)」が宿っているときは福神であり、「荒魂(あらみたま)」が宿ると「おそろしいもの」になる。「大魔神」みたいなものである。
もっぱら「福の神」「年迎えの神」とされるものとしては「面様年頭」がいらっしゃる。「なまはげ」「あまめはぎ」なども知られる。
人間生活との関わり・利用[編集]
「面」(めん、おもて)「仮面」をつけるとガン・バレル型原子爆弾のように臨界量を越えて炸裂するという設定であり、仮面を外すとフツーのおじさんだったり優しいお父さんだったりもする。そのため、その仮面は神社などに祀られ、「今年は誰だ」みたいな談合が行われたりもするらしい。知らんが。
そのため仮面は年ごとに時代がつくというか凝り凝りになってゆき、「相応しいキャラ作りに悩む」とか「地区ごとに担当が変わる」といった駅伝方式とか、じつは仮面は複数あって「来訪神はひとりではないっつ![1]」みたいなことになり、同時刻に複数の場所に来訪したりすることもある。まぁ、神は遍在するので「来訪神もユビキタス社会に適応している」と信じよう。ここは疑ってはならない。「特殊相対性理論や量子力学を勉強しなおしてこいっ!」という話には、なる。
その他[編集]
ただし、これはマトモな家庭の話であって、虐待親とかペドフィリアとか酒乱とかは例外とされる。そういう輩は来年の初日の出は迎えられないと覚悟しろ。
このネタは星野之宣によって作品化されている。諸星大二郎の「暗黒神話」では、敵が神楽面をつけて襲ってくる場面が名場面とされる。
ネタ[編集]
『プロチチ』では自閉の父親がハロウィンの保育園行事に参加させられ、「保育児童の父親は全員参加」というので強制参加させられて、役作りに苦悩する場面がある。その行事に参加させられた父親に「正体がバレてるから誰も怖がってくれないうえに、逆にこっちが酷い目に遭う」と聞かされた主人公が、「だったらこっちも本気でゆきましょう」というので特殊メイクで本気いったら子供らは泣き叫び喚き散らす阿鼻叫喚の修羅の巷になって父親たちは快哉を叫んだが、フィナーレで「だからサンタクロー」あたりで他の父親に口を塞がれ連れ去られるというシークエンスがあった。
脚注[編集]
- ↑ 読み筋は白土三平の「忍者武芸帳」。
関連作品[編集]
- 『大魔神』
- 『マスク』(1994年の映画)
- 『プロチチ』