グルーミング
グルーミングとは、犬・猫・馬などにブラシをかけたり猫の耳掃除をしたり、子供のおむつ替えをしたりすること。犬や駱駝などの毛刈りも同様である。
「愛情表現」のひとつともされ「愛撫」ともされる。話しかけたり撫でさすったりすることだが、対象においては癒されるどころかストレスになって、ときに死亡したりする。
概要[編集]
ぬいぐるみや人形に対するグルーミングはべつに有害ではないし不健全でもない。ここに自分が作りだした人格を張りつけたとしても、その対象はただの物体なのだから。トマトにモーツァルトを聞かせても、まぁ変ではないだろう。科学的なエビデンスがどうこう、というのも言うだけ野暮というものだ。日本酒やワインに「おいしくなぁ~れぇ~」と念をかけると明らかに味が違う、というのも別におかしくない。祭祀儀礼のひとつだと思えばよい。
ただし、「自分が作りだし、対象に貼りつけた人格」というのは当人にとってはかなり重いので、下手に捨てたりするとメンタルヘルスを損なうことがある。そのための「処分場」にあたるのが「お寺さん」「拝み屋さん」である。
こういった理解とメンタルが「自分のもの」になると占い師や霊能者として通用してしまうのだが、その「思い」はシャレではなく「重い」ので、自分が健全な精神を損なわないように用心しよう。
人間生活との関わり・利用[編集]
ヘビを飼育している愛好家は、「人間の体温は蛇にとって熱すぎるため、直接には触らない」ようにしている人もおり、熱帯性のヘビの至適温度は人間にとっては暑苦しいのにタートルネックのセーターを着て首にかけたり腕に巻きつかせていてニヤついていたりするが、他人から見ればキモヲタでも、同じヘビ愛好家が見れば変態でもキモオタでもなければ動物虐待などの犯罪者でもない。
犯罪やメンタルヘルスとの関係[編集]
東京・練馬区立の中学校の元校長・北村比左嘉被告は、勤務していた校長室で教え子に性的暴行を加えケガをさせた準強姦致傷罪などに問われている案件について、東京地裁から懲役9年の有罪判決を受けた。
北村被告は準強姦致傷の罪について起訴内容を否認し、被告人質問では
- 「受け入れられていると認識していた。女子生徒は断ることもできた」
- 「当時の感情は中学生のように幼くなっていて、勘違いして付き合っていると思っていた」
- 「受け入れられていると思っていた」
などと証言しており、「性的暴行」「準強姦」ではなく「グルーミングしただけ」と認識しているらしい。
NHK の報道によれば、これまで200人以上の性被害者の相談に応じてきた「日本フォレンジックヒューマンケアセンター」の長江美代子副会長は、今回の事件について、「子どもを手なずけ、心理的にコントロールする『グルーミング』という手法が影響した」と指摘している。長江副会長によると、「グルーミング」は「大人が性的な目的で子どもを手なずける手法」で、「特定の子どもに優しくしたり、ひいきをしたりして近づき、徐々に性的な行為へとエスカレートする」という。
これを「勘違い」で済ませられると思う時点でメンタルを病んでいると思うが、それを言いだすと「心神喪失」とかいった話になるわけで、「心神喪失者でも中学校の校長にはなれる」ということになる。「中学校の教諭になるということは重責を負うということでもあるため心神耗弱状態に陥った」とか弁護側が主張したら、これまた訳のわからないことになる。