杜 寛(と かん、生没年不詳)は、中国の三国時代の魏の臣。字は務叔(むしゅく)[1]。父は杜畿。兄に杜恕・杜理。甥は杜預。
最初は学問にうちこむために世間との関係を断ったが、そのために権力者のほうから争って交際を求めてくるほどだったという[1]。後に孝廉に挙げられ、さらに郎中に任命されたが、42歳の時に死去した[1]。
経書やその注釈についての議論や批判を好んだという[2]。
- ↑ a b c 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、295頁
- ↑ 陳寿 『正史三国志』 付・杜恕伝
参考文献[編集]