朱守殷 (? - 927年)は、中国五代十国時代、後唐の武将。字は会児。
朱守殷は、李存勗の部下であり、彼とは親しかった。やがて後梁の内乱のさなか、李存勗は力をつけて後唐を建国する(壮宗)。朱守殷は節度使となった。
李存勗は後梁の妃嬪を陵辱するなど粗暴であり、人望を失い、殺された。朱守殷はそのさなか、李存勗の寵愛していた美しい妃たちを奪い、強姦した。
新たに即位した明宗(李嗣源)はこのような朱守殷を警戒していた。朱守殷は河南尹になったものの、謀反を起こして族滅の憂き目にあった。