曹 無傷(そう むしょう、? - 紀元前206年)は、中国の秦末期の武将。劉邦の家臣。
劉邦の配下で左司馬の地位にあった[1]。鴻門の会の前夜、曹無傷は項羽に取り入って自らを諸侯にしてもらおうと企み、部下を項羽の下に派遣して劉邦を中傷した[1]。項羽はこれを聞いて激怒し、范増の進言もあり劉邦を殺そうとしたが、劉邦がへりくだった態度をとったのですっかり気を許して劉邦はこの危機を切り抜けた。項羽から裏切者が曹無傷であることを知った劉邦は、陣営に戻ると直ちに曹無傷を処刑したという[1]。
- ↑ a b c 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.525
参考文献[編集]