旧清川村強盗殺人事件

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

旧清川村強盗殺人事件(きゅうきよかわむらごうとうさつじんじけん)とは、2005年に大分県で発生した殺人事件である。

概要[編集]

2005年3月19日、大分県豊後大野市清川町(当時の大分県大野郡清川村)で、女性Yが顔が判別できない程殴打されて殺害されているのが発見された。遺体は死後数日が立っており、近くには血の付いたブロック片が見つかった。乗用車が盗まれていたため、捜索した結果、施錠された状態で20日に約2・5キロ離ている空き地にて見つかった。被害者Yは、8日ごろに鍵を壊されて現金を盗まれたと知人に話していた。

捜査は難航していたが、2年後の2007年2月に窃盗事件を起こして服役中で被害者と顔見知りだったAが逮捕される。Aは容疑を否認するも、数日後に2005年3月8日に被害者宅に侵入して現金13万円を盗んだと供述。さらに14日には、被害者宅に侵入して物色していたが、女性に現場を見られて頭部をブロック片で何回も殴打して殴り倒した上に、ビニールひもで頚部を絞めるなどして失血死させた。その後に乗用車や商品券を奪ったと供述した。供述を得た検察は強盗殺人窃盗住居侵入で起訴した。 

裁判経過[編集]

裁判に入ると、一度容疑を認めた被告が否認に転じて、無罪を主張して全面対決となった。検察は、Y宅に残されていた足跡がAの靴と一致していることやAが商品券を保持しているなどの間接証拠を提出。自白調書に凶器のヒモの結び方などの秘密の暴露が含まれていると主張して、自白調書の信用性を主張した。弁護側は、取り調べで死刑を示唆されるなどの違法性のある誘導があったとして、自白の任意性や信用性を否定。直接犯人に結び付くような証拠はないと主張した。物的証拠はなかったことから、供述調書の証拠能力が争点となった。

2010年2月23日、大分地裁宮本孝文裁判長)は無罪判決(求刑無期懲役)を言い渡した。判決では、乗用車に被害者Yの血痕が付着していないことから、殺人と窃盗との結びつきを否定。自白についても、被告の供述には不合理な変遷もあるとして信用性がないとした。その他の間接証拠も被告と犯行を結び付けるものではないと述べる。なお、この判決までに、公判前整理手続に付して38回もの公判を経ていて、長期裁判化していた。

3月8日、検察側はこの判決を不服として福岡高裁に控訴。検察は、乗用車内で見つかった微物にAとYのDNA型が検出されたとする鑑定結果を新証拠として請求している。これに対して弁護側は、Aは以前から顔見知りのYの車に乗ったことがあってDNA型が検出されても不思議ではなく、そもそも他にも複数の人物の血痕が検出されているとして客観的証拠を軽視していると主張した。

2013年9月20日、福岡高裁(服部悟裁判長)は、一審判決を破棄して求刑通りの無期懲役判決を言い渡した[1]。判決では、検察の状況証拠を評価して、証拠から被告が犯人であることは明らかだとして一審には事実誤認があるとし、「犯人であることに合理的疑いはない」と結論付けた。弁護側は上告した。

2015年10月6日付の決定で最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は、上告を棄却[2]。無期懲役判決が確定した。

脚注[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]