日光地震
日光地震 | |
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本震 | |
発生日 | 1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日) |
規模 | M7.0 |
地震の種類 | 直下型地震 |
被害 | |
被害地域 | 栃木県(日光など) |
日光地震(にっこうじしん)は、1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日)に、栃木県北部の日光付近で発生した群発地震である。6月17日・18日、10月20日に大きな地震があった。地震により日光東照宮の周辺の地域で、山崩れが多発するなどし大きな被害が出た。天和日光地震とも[1]。この地震の原因は、関谷断層の活動である可能性が指摘されている[2][3]。
概要[編集]
1683年4月頃から日光付近で群発地震が続き、6月17日と18日、そして10月20日と、3回にわたり相次いで大きな地震が発生した[4]。
6月17日の地震[編集]
6月17日の辰の刻(午前7時ごろ)にM6.0 - 6.5の地震が発生。この地震では、日光東照宮や大猷廟、慈眼寺等で石の宝塔の九輪が転落したり、石垣が崩れたり、天狗堂、仏岩、赤薙山及びその北方の山が崩れたりした。この日は、卯の刻から子の刻までの1日に89回も地震が発生した[5][6]。
6月18日の地震[編集]
6月18日巳の下刻(午前10時ごろ)に、前日に続いてM6.5 - 7.0の地震が再び発生し、翌日未明までに196回も地震が発生した。地震により、石燈龍は全て倒れた。江戸表でも有感となり、江戸城内の築屋が崩れた。男体山などでも山崩れ。
10月20日の地震[編集]
10月20日には、M7.0±1⁄4の、一連の地震の中で特に大きい地震が発生した。日光で山崩れが起き、葛老山でも大規模な地すべりがみられ[7]、鬼怒川や稲荷川の水は流れなくなった。1日〜2日で760回以上揺れ、1日から晦日までの地震回数は1,400回に達した。この地震では、下野三依五十里村で山崩れが起き、男鹿川が塞がれため、五十里湖という湖が形成された[4][5][8]。この堰止湖は、40年後の1723年の台風によって決壊し、鬼怒川下流において死者約1,200人の甚大な被害をもたらした(五十里洪水)。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ “天和日光地震(1683年)による葛老山の地すべり地形”. 2020年10月5日確認。
- ↑ “栃木県の地震活動の特徴 - 地震調査研究推進本部”. www.jishin.go.jp. 2020年10月5日確認。
- ↑ 地震災害に対する防災対策について
- ↑ a b “宇都宮地方気象台|栃木県の主な地震災害”. www.jma-net.go.jp. 2020年10月5日確認。
- ↑ a b 想定される地震の規模、被害の予測
- ↑ 街道・宿場の移転と地震 一頃原街道と関谷宿について一
- ↑ 天和日光地震(1683年)による葛老山の地すべり地形
- ↑ 栃木県. “激動とともに生きる 五十里” (日本語). 栃木県. 2020年10月5日確認。