文章力
文章力(ぶんしょうりょく)は、表現力の下位概念。文章で伝え、相手を納得させ、相手の行動を変える能力のこと。
概要[編集]
コミュニケーションは、「情報の伝達によって相手の行動を変えるメッセージング」であるが、それを「記号列」である「文章」によって行うというのは、けっこう高度なコミュニケーション能力を要す。
的確な文章を書く「文章力」のある文章を書く人物は、それだけでも能力が高いといえる[1]。表現力、思考力、語彙力などが必要であり、これらの能力がある者は、比較的に文章力が高い傾向がある。そういう文章だと、読み手側も、嬉しい。なぜなら「解りやすく、腑に落ちて、読んでいて面白い」からである。書籍などにおいても、明らかに書き手側の文章力の違いによって受けとりやすさが違ってくる。そのため、文章力は前述のような「的確さ」以外にも個性もある。具体例としては日本では寺田寅彦・佐貫亦男、訳書ではあるがジェラルド・ワインバーグなどがいる。
養成法[編集]
とりあえず四つはある。
- 文節の並びと係り受けを意識する。そのうち無意識にできるようになる。
- 述語を意識する。
- 連体修飾句は慎重に使う。ポーラライゼーションを避ける。
- 主観と客観を区別する。
たとえば「林檎は赤い」は悪文である。熟しても赤くならない林檎はある。「完熟すると赤くなる品種もある。『紅玉』が代表」ならば文句のつけようがない。
「象は鼻が長い」「僕は鰻だ」は、読み手に甘えている。
「ヲタはキモい[2]」もダメである。暗くないおたくは普通にいるので、「私はおたくをキモチワルイと蔑視する差別主義者であることを宣言して恥じることのない下劣な人間である」と言え。
「自分はこう感じたが、世間にはそう感じない人もいる」ことを踏まえて表現すること。「私は昆虫を食べたいとは思わないが、イナゴやザザムシやハチノコを食べる人を否定しない」「爬虫類もダメだが、スッポンやワニは認めよう。しかしアオウミガメについては環境に関して疑問がある」といった意見は、しごく真っ当である。
「そんなことを言っているとエンペディアンになっちゃうぞ!」…… ですが何か?
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 岩淵悦太郎『悪文』- 著者は文語文法の大家である。
- 木下是雄『理科系の作文技術』- 著者はロゲルギストの一員である。
- 大類 雅敏『そこに句読点を打て!』 (1976)