携挙

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携挙(けいきょ)とは、キリスト教用語の一つ。

キリスト教で終末に起こるとされている出来事の一つ。

概要[編集]

患難時代の前にクリスチャンが生きたまま天に引き上げられることである。第一テサロニケ四章

患難後携挙説[編集]

携挙は患難時代の終わり(再臨のとき)に起こるという説だが、それではクリスチャンは患難時代を地上で過ごさねばならないことになり、携挙が恵みではなくなってしまう。この説は明らかに間違いである。

「携挙は絶対に患難時代の後なのだ。私は神学校で、そう教わったのだ」などという幼稚な主張をする牧師は神学論争のしかたを学ぶべきだ。

患難前携挙説[編集]

携挙が起こるのは患難時代が始まる直前というもの。

患難時代が来るのは、そのときまでにイエスを信じることをしなかった者(特にユダヤ人)への処罰および、患難の中で悔い改めさせるためであり、この説は理に適っている。

既にクリスチャンになっている者は患難時代を地上で過ごす必要はないので携挙されるわけである。しかし、テアテラの教会でイゼベル崇拝をしている者はイエスを信じていても携挙されないと解釈できる。黙示録二章。

携挙の雛型[編集]

創世記五章二十四節のエノクには携挙のようなことが起こったようである。

列王記下二章十一説では預言者エリヤが生きたまま天に昇っている。

モーセにも携挙のようなことが起こったという説がある。

イエスは復活した後、弟子たちが見ている前で天に昇っている。

携挙に似た出来事[編集]

大村純忠は、神社仏閣の破壊や、天正遣欧使節団をローマに送るなどの活躍をしたキリシタン大名である。彼は、秀吉によるキリシタンへの大迫害が始まる一ヶ月前に病死し、難を免れている。この病死は主の恵みであったのかも知れない。

注意点[編集]

携挙の後にイエスを信じても、後から携挙はないので、七年間続く患難時代を地上で過ごさなければならない。しかし、患難時代になっても救いが無くなるわけではない。携挙以降にイエスを信じても、死ねば天国に行けるのである。

天国に行きたければイエスを信じる必要がある。携挙されたければ、携挙の前にイエスを信じる必要がある。

テアテラの教会の信徒の場合、携挙の恵みに与りたければ、携挙の前に悔い改めてイゼベル崇拝を止める必要がある。黙示録二章。