手抜き

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手抜き(てぬき)とは、本来しなければならない作業を省略したり、組み込むべき材料の一部、又は、全部を意図的に省略してしまうことである。程よい手抜きは作業時間の短縮や、利益をもたらすが、極端な手抜きは社会に重大な損害を与える。

概要[編集]

手抜きとは一般に私欲の結果であり、基本的に非難されるべきものであると考えられている。例えば、法令に定められた建築基準を守らず支柱の役目を果たすはずのを間引けば欠陥住宅となるし、法令には定められていなかったとしても目に見えない部分で事前の説明に反して作業を省略していたことが判明すれば、手抜き工事の誹りを免れないであろう。

とはいえ手抜きがつねに悪いわけではない。中心となる意匠について徹底的に描き込まれた絵画が、その周辺部においてほとんど描き殴りのようになっていたとしたら、それは的観点から不要な描写を省略したのであって、悪い意味の手抜きではない。

また、あまりに煩瑣な手続きがあるとき形式を墨守するのではなく大胆な省略を行えば、かえって効率的であるかもしれない。なんの根回しもなくトップと直談判すれば、守旧的な立場からは必要な作業を手抜きしたと見られるであろうが、余計な神経を使わずに望む結果が得られるかもしれない。

既存の調味料や出来合いの惣菜を利用した料理はしばしば自嘲を込めて「手抜き料理」と呼ばれるが、調理時間の短縮によって空き時間ができればその分を他の活動に割くことができるし、無駄な食材を買わなければ安上がりともなろう。

この意味で、ある種の手抜きは効率化節約などなんらかの合理性にもとづいているともいえる。

しかしながら、諸個人の合理的行動の総体はかならずしも全体の合理性とは合致しない。いわゆるランジェルマン効果(社会的手抜き)の場合、共同作業を行う人数が増大するに伴って、一人当たりの生産性が漸減していくことが知られている。少人数で行う作業では各人が責任感をもち、目標達成に対して高いモチベーションを維持できるが、人数が多くなると各人の寄与分が減少するから、個人のモチベーションが下がるのはある意味できわめて合理的な反応といえるが、それは全体の利益に反するのである。

フリーライダーの論理[編集]

集団になると怠ける心理をフリーライダーの論理という。自分がやらなくとも誰かがやってくれるだろう、という甘えである。誰かがやってくれれは、自分は無理しないで済む、楽ができるという論理である。これを社会的手抜きという。

手抜きの例[編集]

手抜き工事[編集]

見えない所に悪い材料を使ったり、防音断熱材を壁の中に入れずに建物を造ってしまう。鉄筋コンクリートの鉄筋を間引きする。

壁の中に防音断熱材が入っていないアパートは、壁がないかのように、隣室の物音が聞こえてしまう。我慢すればストレスが溜まり、壁ドンすれば殺人事件に成りかねない。

鉄筋コンクリートの鉄筋が不十分だと建物の強度が足りず、地震で倒壊する可能性がある。

手抜き欠陥のない建物を作ってほしいなら、手抜き工事¥・欠陥工事を行えない設計図面を作ることが基本である。手抜き工事欠陥工事の多くはしっかりした詳細をきちんと書いている図面(設計図)により防止することができる。

自動車のプラスチック製パーツ[編集]

近年の自動車にはプラスチックのパーツが多数使われている。昔ならば鉄で作られていたであろう所までプラスチックで作られている。

鉄を加工するよりもプラスチックを成形する方が容易で、安価で、軽量だからである。これも一種の手抜きである。

なお上記の例は、「手抜き」ではなく、単なる仕様の違いという意見がある。

梱包の省略[編集]

煎餅などは、1〜3枚づつ袋詰めされ、更に、小売りされる最少単位づつ袋詰めされて、更に段ボール箱に入れられて出荷される。包材は使い捨てである。

しかし、自動車部品工場などは製品を入れたプラスチックの箱を工場間で行き来させるだけである。箱は何度でも繰返し使える。こうして包材や梱包作業まで省略してしまうのである。

パレット繰り返し使うことは、経済合理性があるから、手抜きとは関係がないと思われる。

ファミレスのコップ[編集]

ファミレスのドリンクバーのコップを注意深く見ると、店によってはコップが汚い。これはコップを食器洗い機に掛けるときに時間的な手抜きを行った結果である。洗浄する時間を少々短縮しても食器は綺麗になるが、極端に短縮した場合、汚いコップを客に出して大顰蹙を買うことになるのである。

「お水はセルフサービスです」として、店員が一切水を渡さない客任せの店もある(ラーメン二郎二郎インスパイアなどでは顕著)が、これは別のベクトルの手抜きである。

囲碁[編集]

囲碁の手抜きは相手の打った手に応じないで、まったく別の場所へ打つことをいう。 囲碁では困ったときは手を抜けという格言がある。プロの場合、着手に対して相手が手抜きしたら、最初の手と同等あるいはそれ以上の戦果を上げられる場所(少なくとも相手がそのように思っている場所)に相手が打ったという事である。囲碁では、部分的には同等の着手の場所が複数ある場合もある。

相手に手抜きされて動揺することは通常はない。相手の着手に受けることを「利かされ」といい、プロは嫌うものである。利かされを避ける手を先に読む。手抜きが最善手であることもある。

封鎖されても生きている石ならば手抜きをしなければならない。そうしないと、一手遅れることになる。一手の遅れは致命的になる。生死に判断には読み切ることが必要である。

囲碁に「三手抜き定石」というものがある。黒が三手抜きをしたあと黒が三々へ打って生きる定石である。三手も他に打ったのだから、手を抜いた隅は最低限の生きになってもやむを得ない。

小目のツケ引き定石においても、AIは途中で手抜きを多用する。手を抜いても、有力な手段がないことが分かってきた。

格言に地はヨセになってから考えろ、というものがある。相手がヨセの手を打ったら手抜きをして、より大きなところを選択すると、よい結果が得られる。

将棋[編集]

相手の打った(指した)手に対して応対せず、別の場所に打ったり(指したり)する事。手を抜かれた側は、プロ・アマ問わず動揺する。手を抜く理由は色々あるが、

  1. 対局中お互いに局地戦に注目しすぎていて大局的に見ると現在進行形の局地戦が大した価値が無い事を先に気付いた
  2. 現在の局地戦に拘泥していてもズルズルと負けることが目に見えているため勝負に出た

等がある。

将棋囲碁に比べるとシビアな面があり、一度の手抜きが命取りになる場合がある。将棋で手抜きが見られるのは大抵終盤の斬り合いの時で、受けを省略しての1手勝ち等、明確な狙いがある場合に限られる傾向がある。そのため、手抜きを見ると一瞬動揺するが、「斬り合いになったか」と、すぐに分かる場合が多い。

序盤、中盤で手抜きが見られた場合、相手にとってはポイントを稼ぐチャンスでしかない。そのままポイントを開かれていくと作戦負けが濃厚になり、玉を詰ますまでもなく投了となる事もある。もっと言うと、手抜きなどしていないのに負ける事もあるのが将棋である。相手がそれだけこちらよりポイントの高い手を多く指していたという事がコンピューター将棋等で判明しているため、将棋の指し手で手抜きを考える事は、自殺行為に等しいと考える人も居る。

誤解を招かないように言っておくと、「手抜き」と「手待ち」は全く意味が違う。

関連項目[編集]