懿安皇后張氏

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懿安皇后 張氏 (いあんこうごう ちょうし、1607年 - 1644年)は、中国末期の女性天啓帝の皇后。李自成の乱が起きると反乱軍に輪姦された末に殺害された。

生涯[編集]

美少女皇后[編集]

深緑の服を着た美少女だった。その可憐な容姿に心を惹かれた天啓帝は、14歳の張氏を皇后に選んだ。張氏は寵愛を受けた。

張氏は孤高の美少女であり、読書家だった。反面、周囲からの反発を買った。1623年、16歳のときに妊娠したが流産してしまう。これは、周囲の妃からの嫌がらせによるものだとも言われている。

1627年、天啓帝が亡くなり未亡人となった。新たに即位した崇禎帝は、彼女に「懿安皇后」の称号を与えた。

反乱軍の性奴隷[編集]

1644年、李自成の反乱軍が首都を陥落させると、張氏の両親をはじめ多くの人間が殺された。崇禎帝は自分の娘が賊軍の者たちに凌辱されないように殺した後、自害した。崇禎帝は張氏たちにも自害するように命じたが、混乱のなか、その命令は届かなかった。張氏は寝室で自害していたとも逃亡したとも言われている。

が、実際には、『懿安后事略』によれば、張氏は逃げ遅れて、反乱軍に捕らえられていた。彼女は37歳とはいえ、かなりの美人だったという。怯える張氏は、賊兵たちに襲われ、輪姦された。

それから40日間にわたって、彼女は兵士たちに性的奉仕を強いられていた。李自成軍が敗れ、清軍が入城すると、張氏は殺されたという。

脚注[編集]

関連項目[編集]