慶派仏師(けいはぶっし)とは、平安時代の頼助を祖とする初代奈良仏師派から生まれた仏師の系統の一つ。
初代奈良仏師派の子の一人である康慶が慶派仏師と名乗り、多くの仏像を造ったが源平内乱時代にて平氏の武将の平重衡による南都焼討にて多くの慶派の仏像が失われた為、康慶の嫡男である運慶、快慶及び運慶の嫡男である湛慶ほかを指導者として東大寺大仏殿や興福寺の仏像を復元した。さらにオリジナルの仏像も多く、六波羅蜜寺の仏像は殆どが慶派が作ったものである。しかし慶派で最後の通字が「慶」の湛慶が子に恵まれなかった為、弟の康勝の子康円が最後の慶派仏師として記録されている。