庾 翼(ゆ よく、305年 - 345年)は、東晋の武将。兄に庾亮。子に庾爰之[1]。
340年に兄の庾亮が死去すると、その跡を継いで荊州刺史となる[1]。西府軍団の根拠地を武昌から襄陽に移し、華北奪還のため北伐を行なおうとしたが、345年に背中に悪性腫瘍ができて急死した[1]。
子の庾爰之は無能のため庾翼の遺言があったにも関わらずその地位は継承されず、頭角を現し始めていた桓温が跡を継いだ[1]。