岩津松平家(いわづまつだいらけ)とは三河国の松平家の分家の一つ。宗家でもある。
- 松平郷を支配する松平氏が複数の家に分家した際の一つであり、岩津城を拠点としており、衰退し安城松平家が宗家になるまでは宗家であった。その後松平信孝によって領土が接収され消滅した。
- 1440年に一色義貫を暗殺した功績によって細川持常が一色氏に変わって三河国守護となる。その際細川氏の統治に反発した土豪らが蜂起しこれを松平信光と戸田宗光が沈める。信光はこの功績により、西三河に多くの領土が与えられ、その際各地に松平一族を分家させ、宗家を岩津松平家とした。
- 1500年代初期に今川氏の侵攻により、岩津松平家は大きく衰退し宗家を安城松平家が代わりに世襲するようになりこれが岡崎松平家、徳川家へと繋がっていく事となる。
- 1540年代に松平信孝に押領され滅亡する。
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