山本久枝

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山本久枝(やまもとひさえ、1871年 - 1893年7月20日)は、山本覚馬の子で、社会事業者である。山本久栄、小田久枝、山本久榮とも書かれる。

来歴[編集]

山本覚馬とその後妻の小田時栄の娘(3女)として1871年に生まれた。1888年、同志社女学校を卒業する[1]。15歳の時、1886年頃に徳富蘆花と恋愛になったが、1887年に破談となる。イエズス修道会の仏語女学校の生徒となる[2]。その影響から1892年11月、プロテスタントからカソリックに河原町天主堂で改宗する。同年12月28日、父の山本覚馬が亡くなる。その後、修道院の修養孤児たちの教師として住み込みを始める。1893年に23歳の若さで脳膜炎により急逝した。葬儀は京都の河原町教会で行われた[2]。葬儀にはプロテスタントの山本八重も出席した。墓は京都若王子山同志社墓地内の山本家一族とともに埋葬される。 徳富蘆花の小説『黒い眼と茶色の目』[3]のヒロイン寿代のモデルである。黒い眼は新島襄、茶色の目は山本久枝(栄)を指す。

  1. 『学友会同窓会名簿 : 同志社女学校専門学部・同志社女学校高等女学部』昭和3年6月10日調、京都同志社女学校学友会
  2. a b 京都教区司教・大塚喜直「山本覚馬と久枝の洗礼」『河原町教会だより』、2014年1月
  3. 徳富蘆花『黒い眼と茶色の目』岩波書店、1939年