山口藩庁跡

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山口藩庁跡(やまぐちはんちょうあと)とは、山口県山口市滝町にある藩庁跡である。

概要[編集]

山口駅の北西約1キロの亀山の麓にある現在の山口県庁がかつては長州藩(山口藩)の藩庁だったところである。長州藩は関ヶ原の戦い後、徳川家康により減封された上、対外国の備えとして萩城を本城とする転封がされたが、萩は防長内の内政では極めて地の利が悪かった。一方、幕末に入って幕府の力が急速に衰えると、藩主の毛利敬親は幕末の動乱の中における有事に備え、内政の拠点を山口に移すことを決意した。これが文久3年(1863年)であり、山口政事堂と称された。しかし、第一次長州征討で長州不利の状態で和睦すると、一旦、萩城に戻り、第二次長州征討前に再び山口政事堂が復活した。明治改元後に藩が大名領の公称となると、山口藩庁と称された。

なお、藩庁は、南と西に堀をめぐらし、その中に屋形造りの建物を設けただけの極めて質素・簡素な物に過ぎず、防御的な意味はほとんど成していないと言ってよかった。当時の遺構を現在に伝えるものとして、周囲の堀と表門のみであり、表門は脇門付薬医門で本瓦葺きであり、創建当時のままの姿を伝える堂々たる構えである。

アクセス等[編集]

  • アクセス:山口駅からバスに乗車し、山口県庁前を下車。

関連項目[編集]