小田急電鉄
小田急50000形電車 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒243-0489 神奈川県海老名市めぐみ町2-2 (ViNA GARDENS OFFICE) 〒160-8309 東京都新宿区西新宿1-8-3 |
本店所在地 | 〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-28-12 |
設立 | 1948年6月1日 (前身の小田原急行鉄道は1923年5月1日) |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 鉄道事業、不動産業など多岐 |
代表者 | 取締役社長 星野晃司 |
資本金 | 603億5千9百万円 |
従業員数 | 3,792名 |
外部リンク | 小田急電鉄 |
小田急電鉄株式会社 (おだきゅうでんてつ) は、鉄道事業、生活サービス事業(不動産業、旅行業、ホテル業、商業施設運営)を行う会社である。主として東京西部、神奈川県を活動領域とする。鉄道会社としては、大手私鉄16社のうちの1社である。
概要[編集]
東京西南部から神奈川県に鉄道路線を持つ。鉄道事業を運営する小田急電鉄を中核に、不動産・商業・観光・ホテルなど約100社からなる企業グループ。
「箱根登山鉄道」「箱根ロープウェイ」「箱根海賊船」など箱根エリアの交通機関を所有しており「小田急箱根ホールディングス」を発足した以降、より小田急グループの特色を全面に打ち出している。
湘南エリアでは「江ノ島電鉄」バス会社では「小田急バス」「神奈川中央交通」「立川バス」百貨店では「小田急百貨店」など、その他にも多数のグループ会社がある。
小田急線の近郊・中距離区間では、不動産業で東急に並ぶ大規模事業や人気住宅地を数多く手掛けている。大規模事業として「下北線路街」「海老名駅前再開発」が進み、2024年に「向ヶ丘遊園 跡地再開発」でショッピングモールを開業させ、2029年に小田急線新宿駅に都庁より高い48階建て高層ビルを開業予定。2023年に本社は海老名に建設している自社ビルViNA GARDENS OFFICEに移転。
近年では、子会社のUDS(2015年から2023年まで子会社)により、地方都市やアジアなどでホテル業の運営に積極的で、良品計画と提携した「MUJI HOTEL」が中国で開業している。
社名は「小田原急行電鉄」を略したものであるが、小田原より圧倒的に東京・町田といった東京エリアの利用客が多い。
路線[編集]
- 新百合ヶ丘駅から多摩ニュータウンの中心である小田急多摩センター駅を経由し唐木田駅を結ぶ。
直通運転先[編集]
車両[編集]
- 自社保有の通勤形車両
- すべて20m4扉車となっている。
- 乗り入れ車両
- すべて20m4扉の通勤型。江ノ島線に入線したことはない。また小田原線の伊勢原-小田原駅(E233系は新松田駅)間を走行することは滅多にない。代々木上原駅から新宿駅へは輸送障害発生時に乗り入れることがある。
- 東京メトロ16000系
- JR東日本E233系(2000番台)
- 特急型車両
- ロマンスカーという愛称がついているが、2021年現在、連接車は50000形のみで、それ以外はすべてボギー車である。
- 特殊車両
- 2021年現在、事業用車1形式1両のみが在籍する。
- 編成一覧
詳細は「小田急電鉄の鉄道車両の編成一覧」を参照
- デキ1010形・デキ1020形・デキ1030形・デキ1040形・デキ1050形 - 電気機関車群。
- 1形→1100形
- 101・121・131形→1200形
- 151形→1300形
- 201・251・501・551形→1400形
- 51形→1100形 - 国鉄デハ33600系電車の払い下げ。唯一の木造車であった。
- 1600形
- 1800形・1820形 - 国鉄63系電車の払い下げ。初の20m4扉車であった。
- 1900形・1910形・2000形(初代)
- 1500形 - 京王井の頭線から転入。
- 1700形 - 初の特急車。1800形・1900形より登場時期が遅かったためこちらに記載した。
- 2100形
- デト1形 - 電気機関車に荷台を延長させたような格好の入換専用車。
- 2200形・2220形 - 初の高性能車。
- 2300形
- キハ5000形・キハ5100形 - 御殿場線乗り入れ用に製造。
- 3000形(初代) - ロマンスカーSE車。
- 2320形 - 準特急用に登場。
- 2400形 - 通称HE車。廃車後主電動機が4000形(初代)の高性能化に用いられた。
- 3100形 - ロマンスカーNSE車。
- 2600形 - 通称NHE車。特殊な回路構成により直巻電動機の抵抗制御であるにもかかわらず回生ブレーキを可能にした。
- 4000形(初代) - 最後の吊り掛け車でもあったが、高性能化も行われ長期間使用された。
- 500形 - 日本ロッキード式モノレールの初の実用化例。
- 5000形(初代) - 当形式の全廃で抵抗制御の通勤車は全滅した。
- 9000形 - 地下鉄直通対応の界磁チョッパ制御車。
- 7000形 - ロマンスカーLSE車。電気指令式ブレーキを初採用。
- 10000形 - ロマンスカーHiSE車。バリアフリー化が困難なため廃車。
- 20000形 - ロマンスカーRSE車。10000形と同様の理由で廃車。
複々線[編集]
代々木上原駅から登戸駅間は複々線区間である。50年以上続いた事業で2018年に完成しラッシュ時間帯を中心に大幅に所要時間と混雑改善した。
- 町田駅 - 新宿駅間の所要時間が最大12分短縮。
- 小田急多摩センター駅 - 新宿駅が最大14分短縮。
運行系統[編集]
- 特急ロマンスカー
- 快速急行
- 急行
- 準急
- 各駅停車
- 通勤急行
- 通勤準急
沿革[編集]
- 1910年6月1日、鬼怒川水力電気創立事務所を東京市京橋区に置く[1]。
- 1910年10月1日、鬼怒川水力電気株式会社設立。資本金1350万円。取締役社長利光鶴松。
- 1912年10月1日、京成電気鉄道に送電開始。
- 1922年3月17日、東京高速鉄道 新宿~小田原間布設免許。
- 1923年3月8日、設立準備中の東京高速鉄道を小田急電鉄に改称。
- 1923年3月1日、小田原急行鉄道設立。資本金1350万円。取締役社長利光鶴松[1]。
- 1925年9月15日、東京電力と電力購入契約締結。
- 1925年11月10日、上野精養軒で起工式開催。
- 1927年4月1日、小田原線(新宿〜小田原間)開業(一部単線)。駅数38。向ヶ丘遊園開園。
- 1927年5月27日、狛江駅新設。7月28日新座駅新設。
- 1927年10月15日、小田原線全線複線開通。
- 1929年2月13日、片瀬線鉄敷設工事着手。
- 1929年4月1日、江ノ島線(大野〜片瀬江ノ島間)営業開始。玉川学園駅新設。
- 1934年4月1日、梅ケ丘駅新設。
- 1940年5月、傍系の帝都電鉄(株)を合併
- 1941年3月、親会社の鬼怒川水力電気(株)と合併し、小田急電鉄(株)と改称
- 1942年5月、京浜電気鉄道とともに東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄となる[2]。
- 1948年6月、東京急行電鉄(株)から分離独立し、小田急電鉄株式会社となる。資本金1億円。東京急行電鉄(株)の子会社であった箱根登山鉄道(株)と神奈川中央乗合自動車(現・神奈川中央交通)が傘下に加わる。
- 1950年8月、箱根登山線に乗り入れ
- 1952年、向ヶ丘遊園有料化。大人10円、小児5円。
- 1958年5月23日、向ヶ丘遊園内ばら苑開苑。
- 1959年4月2日、箱根ロープウェイ(株)設立、資本金1億円。12月6日、箱根ロープウェイ早雲山-大涌谷営業開始。
- 1960年9月7日、箱根ロープウェイ大涌谷-桃源台営業開始、箱根ゴールデンコース開通。
- 1962年11月、小田急百貨店開業。これ以降、不動産業、旅行業、ホテル業、商業施設を拡充。
- 1964年2月、新宿駅の立体化
- 1974年6月、多摩線開業
- 1978年3月、営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線との相互直通運転開始
- 1991年3月、新宿駅~沼津駅間でJR東海と相互直通運転を開始
- 2005年、箱根への観光輸送に特化したロマンスカー・VSE(50000形)投入
- 2015年、「長期ビジョン2020」策定
- 2018年3月、複々線化の完成
- 2021年6月1日、小田急線全70駅で「駅スタンプ」を一斉リニューアルした。
- 2021年7月8日、登戸・向ヶ丘遊園駅周辺エリアの賑わい創出に向けて覚書を締結した。
- 2021年7月16日、小田急電鉄株式会社は藤沢市と持続可能な地域循環型社会の推進に係る連携協定を締結した。
- 2021年11月8日、子供用IC運賃料金を2022年3月より均一50円にすることを発表。
- 2022年4月28日、本社を移転することを正式に発表。新宿(小田急第一生命ビル)には経営企画本部・まちづくり事業本部・一般管理部門等を、海老名(VINA GARDENS OFFICE)には交通サービス事業本部等を配置する予定。
小田急逸話[編集]
- 小田急小田原線の計画起点は当初、平河町五丁目であった(平河町五丁目-赤坂見附-原宿-渋谷-三軒茶屋-砧村-多摩川-原町田方面)。当時鉄道省の旅客課長の生野團六は小田原線の計画を聞き、将来の山の手では新宿が中心になるから、新宿に駅を作り省線の新宿駅に乗り込むようアドバイスを行った。その頃、東京鉄道局では新宿に甲州街道側と青梅街道側に2つの駅があり、統合拡張する設計を進めていた。新宿駅構内に小田原線を引き込むためには、鉄道省の用地を譲渡してもらう必要があったが、事務所長が強硬に反対していた。しかし1923年頃には反対論はなくなっていった[1]。
- 開業時の従業員採用は、駅長・助役の幹部職員は大学卒業者、その他の現業員は社長利光鶴松の郷里・大分県と沿線地域から募集した。新入社員は駅長、助役、運転士、車掌、駅員と分けて経堂・座間の教習所で教習を受けた。指導には鉄道省および東京市交通局から選抜された熟練者が当たった。
- 1929年(昭和4年)、西城八十作詞、中山晋平作曲の『東京行進曲』が大ヒットし、小田原急行鉄道のCMソングの役割を果たし、小田急の名を全国に広めた。会社は後年、西城八十に終身乗車証を贈り、恩義に報いた[1]。
- 玉川学園駅は、1929年4月1日には人家もまばらな山林であったが、学園の小原圀芳は30万坪の土地を取得し、学園住宅地を開発した。駅敷地と駅舎を学園側が提供し、1ヵ月200円の売り上げの最低保証を条件に駅の開設を行った。売上が1ヵ月200円に達しない時は、月末に回数券をまとめて購入し、不足分を補ったという。
- 1936年頃、沿線の観音を祀る寺院33か所と、名刹五か寺を加え、五大霊場三三札所とし、特別乗車券を発売した。周遊券の一種で、料金は2円、有効期間は1lか月、指定参拝下車駅に限り途中下車自由であった[1]。
基本事項[編集]
- 社名:小田急電鉄株式会社
- 設立:1948年6月1日(前身の小田原急行鉄道は1923年5月1日設立)
- 本店:〒151-0053 東京都渋谷区代々木2丁目28番12号
- 資本金:603億5千9百万円
- 代表者:取締役社長 星野 晃司
- 事業:鉄道事業、不動産業、その他事業
- 従業員数:3,726名
- グループ会社数:99社(2018年8月1日現在)
外部リンク[編集]
脚注[編集]
日本の主な鉄道事業者 |
パスネット(廃止) |