小山作之助

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小山作之助(こやまさくのすけ、文久3年12月11日 - 1927年6月27日)明治・大正時代の音楽家、教育者、作曲者。「夏は来ぬ」「敵は幾万」など唱歌や軍歌を作曲した。日本教育音楽協初代会長。

経歴[編集]

  • 文久3年12月11日(1864年1月19日)、新潟県中頸城郡大潟町(現上越市大潟区潟町)に生まれる。
  • 小学校卒業後、父の事業を手伝いながら夜学に通い漢学・国語・歴史などを勉強[1]
  • 1880年(明治13年)、上京し築地大学(現明治学院大学)に入学し、英語・数学を学ぶ。
  • 1883年(明治16年)、文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)に入学。
  • 1887年(明治20年)、卒業後、研究生・東京府立唱歌伝習所講師となる。
  • 1888年、東京府立師範学校に奉職。
  • 1892年(明治25年)、東京音楽学校の専任助教授となる。
  • 1903年(明治36年)、東京音楽学校を退職
  • 1904年(明治37年)、山葉楽器(現ヤマハ株式会社)顧問。多数の音楽学校の創設、運営に関わる。
  • 1911年、文部省唱歌編纂委員。
  • 1924年(大正13年)、東京音楽学校の講堂で盛大な還暦祝賀会が行われる。
  • 1927年(昭和2年)6月27日、死去、享年65。明治神宮外苑の日本青年会館で、音楽家総動員による盛大な音楽葬が行われた[2]

人物[編集]

作品[編集]

  • 漁業の歌(作詞:小池友七)
  • 敵は幾万(作詞:山田美妙斎
  • 夏は来ぬ(作詞:佐佐木信綱)
  • 日本海軍(作詞:大和田建樹)
  • 春の心(作詞:佐佐木信綱)
  • 吉野山 (作詞:吉岡 郷甫)
  • ああわからない (作詞:添田唖蝉坊)
  • 川中島 (作詞:旗野十一郎)
  • 四条畷 (作詞:大和田建樹)
  • 海国男子 (作詞:大和田建樹)
  • 観兵式の歌 (作詞:小田深蔵)
  • 寄宿舎の古釣瓶 (作詞:小池友七)
  • 勅語奉答 (作詞: 勝安芳)
  • つまらない節 (作詞:作詞 松崎ただし)
  • 広瀬中佐 (作詞:作詞:巌谷小波)
  • 南へ進む日の御旗 (作詞:堀内敬三)

参考文献・注釈[編集]

  1. 村上市郎(1996)『おもかげ 伝記・小山作之助』(伝記叢書 203)大空社
  2. 堀川正紀、山本栄美(2013)『小山作之助物語 : 日本音楽教育の母』卯の花音楽祭実行委員会
  3. 夏は来ぬ♪小山作之助に詳しい観光ガイド育成へ上越妙高タウン情報、2018年06月13日
  4. 日外アソシエーツ株式会社編(2011) 『明治大正人物事典 2(文学・芸術・学術篇)』日外アソシエーツ