山田美妙
ナビゲーションに移動
検索に移動
山田美妙(やまだ びみょう、慶応4年(1868年)7月8日(旧暦)- 1910年10月24日)は、作家。
人物[編集]
本名・武太郎。江戸の神田柳町に武士の子として生まれる。小学校で尾崎紅葉と知り合い、のち紅葉、丸岡九華、石橋思案らと硯友社を結成し、『我楽多文庫』に参加、小説を発表する。1888年「夏木立」「蝴蝶」などを発表。「蝴蝶」は渡辺省亭が描いた女の裸体図の挿絵のため発禁となった。女性作家の田沢稲舟と結婚した。フィリピン独立の闘士について書いた『あぎなるど』のほか『いちご姫』のような伝奇小説も書いた。
「ですます」体で地の文章を書いたが、言文一致体の成立の過程で、紅葉などの「だである調」に敗北して消えていったとされている。孫はSF作家の加納一郎。