宮沢明子
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宮沢 明子(みやざわ めいこ、英:Meiko Miyazawa、1941年5月10日 - 2019年4月23日)はピアニストである。ベルギーに在住し、欧州で活躍していた。
概要[編集]
- 1941年5月10日、神奈川県三浦郡逗子町(現在の逗子市)生まれ[1]。父は熱烈なクラシック・ファン、母はピアニストの音楽一家。
- 2歳8カ月でピアノを弾き始めた。
- 横須賀の清泉女学院で、元ピアニストでスペイン人修道女のマドレ・カルメン・ペニアに師事。クレメンティのソナチネやアルベニスの小品のレッスンを受ける。
- 1951年、桐朋学園「子供のための音楽教室」に入室。井口愛子に師事。石浜和子、寺西昭子、井口基成、井口秋子、斎藤秀雄の教えも受ける。
- 1955年、全日本学生音楽コンクール全国第一位、文部大臣賞受賞。
- 1956年、パリから一時帰国した憧れのピアニスト、田中希代子の前でピアノを弾いた。
- 普連土学園中学校・高等学校から桐朋学園大学音楽科に進学。1957年、1958年、1959年と毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)に連続入選。
- 1961年、渡米し、エール大学音楽部、ジュリアード音楽院で学ぶ。サッシャ・ゴロドゥニッキー(Sascha Gorodnitzki、1905~1986)に師事。
- 1963年、ジュネーヴ国際音楽コンクールで1位なしの2位受賞。本選ではリストのピアノ協奏曲を弾いた。
- 1964年、ヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門金賞第1席受賞。ニューヨーク市で故ケネディ大統領追悼コンサートのソリストとして選ばれる。
- 1969年、ハイドンピアノソナタ全集(全62曲)を録音(世界初)。
- 1973年、モーツァルト・ピアノソナタ全集(全17曲他)を全曲録音。
- 1978年、NHK教育テレビ『ピアノのおけいこ』で好評を博す(~1979年)[2]。
- 2019年4月23日、脳梗塞のためベルギー・アントワープの病院で死去。78歳[3]。
人物[編集]
- 時期は不明であるが、ベルギー人のカメラマンと結婚している[4]。
- 手が小さくてピアノを弾くのに向いていないとも言われたが、母からは「大きな手で弾く大味な音のピアニストにならないでね」と言われたという。
- ピアニストの中村紘子に対し、強いライバル意識を持っていたと言われる[5]。
注[編集]
- ↑ 宮沢明子さん死去読売新聞、2019年5月30日
- ↑ 宮沢明子ピアノリサイタル
- ↑ ピアニスト宮沢明子さん死去朝日新聞、2019年5月30日
- ↑ 追悼 宮沢明子タワーレコード
- ↑ 音楽大学とピアノ界の今昔