室生犀星
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室生犀星(むろう さいせい、1889年8月1日-1962年3月26日)は、詩人・小説家。
人物[編集]
金沢市生まれ。寺の養子になり室生照道を名のる。十歳で父が死去、母が行方不明となる。14歳で金沢高等小学校を中退し、金沢地方裁判所の給仕となる。22歳で上京し、北原白秋に弟子入りし、萩原朔太郎と親しくなる。貧乏な詩人だったため、1917年、17歳の中条ユリ(宮本百合子)の小説が『中央公論』に載った時、父が有名人(建築家)だから載るんだ、と考えて嫉妬をこらえた。翌年、『愛の詩集』『叙情小曲集』を自費出版する。養父が死去し、郷里の財産を整理して結婚する。
1919年「幼年時代」「性に目覚める頃」などの小説が、滝田樗陰の手により『中央公論』に掲載され、小説家としても名をあげ、1920年には小説集『性に目覚める頃』を刊行、多くの小説を発表する。
1934年「あにいもうと」で文藝懇話会賞を受賞。詩との決別を宣言する。1935年の第1回から42年まで芥川賞の銓衡委員を務めた。1940年「戦死」で菊池寛賞を受賞。
戦後1948年に日本藝術院会員となる。1956年、子供たちのことを描いた『杏っ子』を新聞に連載、翌年読売文学賞を受賞する。1959年「かげろふの日記遺文」で野間文芸賞受賞。同年『我が愛する詩人の伝記』で毎日出版文化賞受賞。1960年、室生犀星詩人賞が設定される。
娘はエッセイストの室生朝子。