大和帝国
大和帝国(やまとていこく)は、かつて大阪府高槻市に存在したギャングエイジ的傾向を持つ小中学生集団である。
名称[編集]
正式名称は大和帝国であるが、国民の間では専ら「国」が用いられていた。この理由は諸説あるが、一般には大和帝国以外には国家と呼べる国家が建国されなかった時期が長かったことに由来する。稀に、「関西軍」と呼ばれることもある。
歴史[編集]
関西軍時代[編集]
大和帝国の前身は、2009年5月9日に高槻市内の小学校で建国された関西軍である。当初は国家としての意識は国民の間で広がっておらず、軍隊的性格を持つ団体として捉えられていた。関西軍はメンバーを増やし順調に拡大していくが、2011年夏に小学校の教職員に「軍」という集団の性格が問題視され、解散を余儀なくされた。
希望隊時代[編集]
解散後の関西軍は、「希望隊」という名称で再スタートをきり、様々な改革(希望改革)が実施される。発足一週間後には、通貨制度が導入され、大統領と首相の指名や議会選挙も行われた。しかし、政治や経済の体制を巡り保守派と革新派が争い、数か月後には保守派が新たな組織、青竜隊を設立する。
冷戦時代[編集]
保守派が中心の青竜隊は関西軍の復活を目指し、革新派が中心の希望隊と対立するようになる。青竜隊発足当初は、希望隊と同程度の規模であったが、次第に希望隊のメンバーの引き抜きを始めるようになる。希望隊本部もこの事態を重く見て、今まで関西軍復古主義の象徴とし、忌み嫌ってきた再軍備を果たし、青竜隊と対立するようになる。だが、他校のギャングエイジ集団との数多くの抗争を重ねてきた青竜隊の軍事力には歯が立たず、あえなく屈服し、青竜隊に合流することになった。冷戦は完全に青竜隊の勝利と言えよう。
統一後の混乱時代[編集]
希望隊を吸収した青竜隊は、大和連邦共和国としてその形を新たにするが、その形を巡って混乱が起こる。2011年秋には北部成合州の分離独立運動が激化し、国軍が出動する運びとなった。その冬には小島氏の率いる共産クーデターが勃発し、国家主席制度と平等主義国家の建設を推し進めようとしたが、国民の強い反発によって初代国家主席は国外追放され、新たに大和帝国が建国された。