大六天 (狭山市)

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大六天(だいろくてん)は、埼玉県狭山市柏原にある文字塔[1][2]。『狭山市史 地誌編』には柏原地区の神社の一つとして記載されている[3]ちらかし様ちらかし神とも呼ばれ、散らかすことを好み、整えることを嫌う神といわれている[4][3]

概要[編集]

大六天は、柏原の本宿バス停東側の道にある石碑。もとは個人宅の裏にあったが、少しだけ移動している[2]安政6年(1859年)9月に恵花組(えげぐみ)中の市川仁兵衛、長谷川六ノ丞により建立された[2][4][5]。高さ135cm、幅41cm、台座の高さ36cm、台座の幅44cm[2]。正面に「大六天」と彫られている。銘文は書家の中澤雪城による[2][4]面足尊惶根尊が祀られている[3][2]

伝説[編集]

大六天は、ちらかし様とも呼ばれ、散らかっていることを好む神で、周りを片付けると祟りがあるという伝説が残っている[6]。絵本作家の池原昭治が描いた『狭山の絵本』に再話されている伝説は要約すると次の通りである。

柏原の中宿の「大六天さま」は「ちらかしさま」ともいわれている。昔、隣村にきれい好きなおばあさんが住んでいた。大六天に来たとき、周りに達磨や幣束、玩具などが散らかっていたので、きれいに片づけ、近所の人を叱って帰っていった。その後、おばあさんは病気になり、身内の人も災難に遭うなど不幸が続いた。大六天は散らかっていることを好む神で、周りを片付けると祟りがあるといわれている。 — 大六天さま[7]

テレビアニメ番組『まんが日本昔ばなし』で放映され、絵本に収録された内容は要約すると次の通りである。解説では児童虐待と関連付けている[8]

昔、柏原の中宿に、村人が困るほどきれい好きなおばあさんが住んでいた。大六天に来たとき、子どもたちがおもちゃを散らかして遊んでいたので叱りつけ、おもちゃを取り上げて帰っていった。家に帰ったおばあさんがおもちゃを燃やそうとすると、体が突然痛み出し、そのまま寝込んでしまった。夜、苦しんでいるおばあさんのもとに一人のおじいさんが現れた。おじいさんは燃やされそうになったおもちゃを部屋中に散らかし、「きれい好きを人に押し付けるのは良くない。子どもたちが散らかしてくれたのに片付けられてしまった。」と言ったので、おばあさんはこのおじいさんの正体が大六天だと気が付いた。翌日、大六天の前に取り上げたおもちゃを散らかすと、体の痛みは消えて無くなった。大六天の周りは更に散らかるようになり、村人は「ちらかしさま」と呼ぶようになった。今も周りを片付けた人に悪いことが起こるといわれている。 — 大六天さま[8]

脚注[編集]

  1. 狭山市編集『狭山市史 民俗編』pp.793
  2. a b c d e f 高橋監修『狭山市の史跡・文化財を訪ねる』pp.19-20
  3. a b c 狭山市編集『狭山市史 地誌編』pp.606
  4. a b c 狭山市編集『狭山市史 民俗編』pp.274-275
  5. 狭山市 (2018年8月9日). “大六天”. 狭山市公式サイト. 2019年2月確認。
  6. 狭山市編集『狭山市史 民俗編』pp.386-387
  7. 池原『狭山の絵本』pp.111
  8. a b 愛企画センター企画、国際情報社編集部編集『大六天さま まんが日本昔ばなし 79』国際情報社、1982年。

参考文献[編集]

  • 愛企画センター『テレビ名作えほん(たのしい幼稚園) まんが日本昔ばなし 第78巻』講談社、1987年。
  • 愛企画センター企画、国際情報社編集部編集『大六天さま まんが日本昔ばなし 79』国際情報社、1982年。
  • 池原昭治『狭山の絵本』狭山市、1978年。
  • 川内彩友美編『決定版 まんが日本昔ばなし100話②』講談社、1985年。
  • 狭山市編集『狭山市史 民俗編』狭山市、1985年。
  • 狭山市編集『狭山市史 地誌編』狭山市、1989年。
  • 高橋光昭監修『狭山市の史跡・文化財を訪ねる』狭山歴史ガイドの会、2013年。
  • 西沢順造『さやまのむかしばなし 増補再刊』関東図書、1979年。
  • 狭山市 (2013年6月27日). “大六天さま”. 狭山市公式サイト. 2019年2月確認。
  • 狭山市 (2015年7月20日). “柏原の大六天(だいろくてん)さま”. 狭山市公式サイト. 2019年2月確認。
  • 狭山市 (2018年8月9日). “大六天”. 狭山市公式サイト. 2019年2月確認。