増淵倉吉

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増渕 倉吉(ますぶち くらきち、 - 1932年)は、首なし娘事件の犯人である。群馬県出身。

経歴[編集]

群馬県で生まれ育つ。菓子職人として上京し、東京都の浅草に菓子店を開いた。当時は妻と子供に恵まれている生活を送っていた。1923年に関東大震災が起きて、その影響で、店を失った。その後、大阪府へと転居したが、大阪の水は合わなかったため、しばらくして愛知県の名古屋へと流れ着いた。饅頭工場で工場長として勤め、後妻は近所に裁縫教室を開き、講師役として近所の娘たちに教えていた。生活が安定した束の間、後妻が健康が優れず、裁縫教室を閉じて入院する。しかし、1931年に後妻が病死。そして些細なことで工場を辞職し、心機一転を図って同年の12月に上京したが、仕事につまずいた。1932年1月14日名古屋に戻り、旅館で吉田ます江と何度も会っていた。

これ以降は「首なし娘事件」を参照。

長い頭髪がついている女性の頭皮をカツラのようにかぶり、女性用の毛糸下着の上に黒い洋服を着ており、ゴムの長靴をはいた状態で首を吊った。3月5日に持ち主の茶店の主人に発見される。