城山三郎

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城山三郎(しろやま さぶろう、1927年8月18日-2007年3月22日)は、作家。

人物[編集]

本名・杉浦英一。愛知県生まれ。1952年一橋大学理論経済学専攻卒。愛知学芸大学(愛知教育大学)助手、講師として経済学を教える。小説を書き始め、1957年「輸出」で文學界新人賞受賞、同作で直木賞候補となる(当時は純文学雑誌掲載作も直木賞候補になった)。58年「総会屋錦城」で直木賞受賞。当時、なかなか文藝雑誌に載せてもらえず、「今は大江健三郎開高健の時代だよ」と編集者に言われたという。63年愛知学芸大学を退職。

以後、経済小説を主として書き、「経済小説」というジャンルを確立する。ほか太平洋戦争などに取材したものも多く、1963年「硫黄島に死す」で文藝春秋読者賞受賞。1974年、戦時中の総理で、東京裁判で死刑になった広田弘毅を描いた『落日燃ゆ』で毎日出版文化賞吉川英治文学賞を受賞。81年、NHK放送文化賞、95年『もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界』で菊池寛賞受賞、2002年「経済小説の分野を確立、組織と人間を描いてきた業績」で朝日賞を受賞した。

ほかに、渋沢栄一を描いた『雄気堂々』、受験競争を描いた『素直な戦士たち』、定年後を描いた『毎日が日曜日』などベストセラーとなった小説は多く、晩年、夫人を失って書いた『そうか、もう君はいないのか』も話題を呼んだ。1978年のNHK大河ドラマで、呂宋助左衛門を主人公とした『黄金の日日』で原作を書いているが、これはあらすじ程度のもので本格的な小説ではなかった。

江藤淳藤枝静男と三人で招待でソ連へ行った時、三人とも筆名なのでパスポートと名前が違うのでトラブルになったことがあった。国家的褒章は辞退していたと思われる。