四面塔

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四面塔(しめんとう)は、東京都豊島区池袋にある無縁仏を供養した石塔である。

由来[編集]

享保の頃(1716年から1736年、徳川幕府8代将軍徳川吉宗の時代)高田雑司ヶ谷と坂橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道の四ッ辻付近(現西武線池袋駅東口付近)は、夕方になると追はぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れる為に通行する人が少なくなった。

1721年(享保6年)の夏に、一晩で17名の辻斬残骸が見つかった。池袋村民有志64人はこの不祥事を憂いて、雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺第22世日相上申に供養を依頼し、1721年(享保6年)9月に法華経を刻んだ石塔を建立して無縁仏の霊の冥福を供養した。

正面に「お題目」、右側面には北方板ばしみち、左側面には南方高田雑司ヶ谷道が記され、道標としても使われた。塔は「四面塔尊」と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されたという。

現在は池袋駅前公園内にあり、四面塔の左隣りには稲荷大明神、右隣りには六地蔵尊がある。

現代の心霊現象[編集]

もと四面塔が置かれた場所は 区画整理を受けて塔は駅前に強制移動された。しかし、移動に関った作業員は相次いで事故死した。毎年四面塔を秦じる祭が開催されたが、太平洋戦争により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃していった。 1955年(昭和30年)になると駅前に丸物デパートが建設され、四面塔は駅前から現在の土地に強制移動された。ところが丸物デパートの建設中事故が頻発した為、 デパート関係者は地元の有志と協力して、1955年(昭和30年)5月に四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。 その後、デパートは完成したが、丸物デパートは倒産した。人々は「塔を動かしたから祟りがあった」と噂したのである。

基本情報[編集]