周 章(しゅう しょう、? - 紀元前208年[1])は、秦末期の陳勝軍の武将。字は文のため、周 文(しゅう ぶん)とも言われる[1]。
陳の出身[1]。最初楚の春申君に仕えた[1]。その没後は楚の将軍である項燕に仕えて視日(天象を観察して吉凶を占う者)となる[1]。
秦末期に陳勝・呉広の乱が起こると陳勝に仕えてその配下の将軍となり、陳勝の命令で軍を率いて西上して咸陽にまで迫るに至るが、秦の名将・章邯の反撃にあって大敗を喫し、自殺した[1]。