項 燕(こう えん、? - 紀元前223年[1])は、楚末期の武将。子に項伯、項梁、その他に男子が少なくとも1人はいる。孫に項羽、項荘がいる。
楚の将軍で名将と謳われたが、紀元前223年(一説に紀元前224年)に秦の王翦に敗れて自殺した[1]。一説に殺されたともいう[1]。
項燕は民衆からの人望が厚く、陳勝と呉広により反秦の乱が起こされた際に呉広は項燕であると称している[2]。
- ↑ a b c 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.491
- ↑ 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.137
参考文献[編集]