呂嬃

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呂 嬃(りょ しゅ、? - 紀元前180年)は、前漢前期の女性。前漢の功臣である樊噲の妻。前漢の初代皇帝である高祖皇后呂后の実妹。子に樊伉がいる。中国において女性で初めて「侯」になった人物である[1]

生涯[編集]

樊噲と結婚し、その間に息子の樊伉が生まれている。紀元前195年に高祖が崩御し、呂后の息子である恵帝が第2代皇帝に即位して呂氏一族の時代になると、大臣からも恐れられるほど権力を振るったという[2]。そのため姉の計らいで臨光侯に封じられた。紀元前189年に夫の樊噲が死去すると、息子の樊伉が樊家を継承した[2]

紀元前180年に姉が死去すると陳平周勃らによる政変が始まる。その中で呂氏一族の趙王であり、呂嬃の甥に当たる呂禄が北軍の指揮権を太尉の周勃に返そうとしたため、呂嬃は呂禄に「将軍なのに指揮権を手放せば、呂氏一族は居場所が無くなる」と怒って宝玉や宝器を取り出して庭にぶちまけ、「どうせ劉氏一族の物になるのだから、大切にしておくことは無い」と言って叩き壊したという[1]。しかし呂禄は結局、指揮権をだまし取られて政変により呂氏一族は皆殺しにされ、呂嬃は鞭打ちの刑で処刑され[1]、息子の樊伉も殺された[2]

脚注[編集]

  1. a b c 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.570
  2. a b c 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.306

参考文献[編集]